日蓮聖人の生涯:お釈迦さまの教えを受け継いだ法華経の行者―日蓮聖人

日蓮聖人の生涯

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日向入門
日頂入門
日持入門
1271年文永八年
1272年文永九年
1273年文永十年
1274年文永十一年
1275年建治元年
1276年建治二年
1281年弘安四年
1282年弘安五年
◆龍口法難・佐渡流罪
幕府や諸宗を批判したとして捕らえられ、翌9月13日未明、腰越龍ノ口刑場にて処刑されかけますが、江の島の方向から月のように輝くものが飛んできて、刀を三つに折り、処刑役人は目が眩み、その場に倒れ、兵士たちは恐れおののき、斬首の刑は中止され、その後佐渡流罪となりました。
腰越龍ノ口刑場
◆2月『開目抄』述作。
◆4月25日『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』述作。
 7月8日大曼荼羅御本尊を初めて書き顕す。
◆佐渡流罪より赦免され鎌倉へ帰還
4月8日、佐渡流罪より赦免され鎌倉に戻った日蓮聖人は、平頼綱から蒙古襲来の予見を聞かれますが、法華経中心の政策への転換を幕府に対して行いました(3度目の諌暁)。幕府は聞く耳をもちませんでした。
◆身延山入山
5月17日、波木井実長の招きで甲斐国身延山(山梨県身延町)に入り、この地で法華経を伝える人材養成に務め、大勢の弟子や信者と共に、昼夜をとわず法華経の講義や唱題修行に精進されました。
身延山
◆6月『撰時抄』述作。
◆師の道善房逝去。
 7月21日、弟子達へ依頼し墓前において『報恩抄』を奉読。
◆11月頃、身延に十間四面の大堂建立。
◆湯治のため身延下山
9月8日、病の療養の為、常陸の湯へ向かう道中、同月18日武蔵国池上宗仲公の館(東京都大田区池上=現在の大坊本行寺)で養体が悪化し休息されました。
◆六老僧を制定
日蓮聖人は御入滅になることを予感され、10月8日、池上の地で本弟子六人を定め、力を合わせ法華経流布に精進することを命じ、日蓮聖人生涯の精神的帰依ともいうべき『立正安国論』の講義をされました。
◆池上にて御入滅
10月13日辰の刻(午前7時~9時)、弟子・信者多数の唱題の中、静かにご生涯を閉じられました。池上の山に季節外れの桜の花が咲き、日昭上人の打つ臨終を知らせる鐘の音が悲しく響きました。
◆ご遺骨を身延に
10月19日、「いづくにて死候とも、はか(墓)をば身延のさわ(沢)にせさせ候べく候。」(波木井殿御報)のご遺言に従い、ご遺骨が身延へ出発しました。