「この世界こそが仏の在(ましま)す浄土である。この世を捨ててどこに浄土を願う必要があろうか〔来世に望みを託すのではなく、今生きているこの世界にこそ、希望を求め続けるべきだ〕」。
「一身の安堵を思わば、まず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を祈るべし〔自らの幸せのためにも、広く社会全体が平穏無事であるよう願い、そのような世の中になるために皆努力するべきだ〕」。
立教開宗を宣言した日蓮聖人は、当時幕府が置かれていた政治の中心地・鎌倉の町辻に立ち、道行く人々に、法華経を説き続けました。
しかし、「法華経こそが、お釈迦さまの真の教えである」という日蓮聖人の主張は、その当時の仏教各宗派や、その既成仏教を支援していた幕府や朝廷の反感をも買うこととなりました。それでもなお、日蓮聖人は、混迷する国家の救済を目指した渾身の書『立正安国論』を当時の権力者・北条時頼に建白し、法華経を根本とした国づくりをするよう、命をかけて諌めたのです。
『立正安国論』のなかで日蓮聖人は、そもそも世が乱れる根本的な原因は、来世での救いしか求めない民衆の誤った信仰や、加持祈祷(かじきとう)のみに頼る幕府の間違った政策にあると断言。幕府が行いを改めなければ、国内は更に乱れ、外国からの攻撃も受けるにいたるだろうと予言しました。
自らの幸せを願うのであれば、正しい教えのもと、社会全体の幸せを願わなくてはならないと訴えたのが「立正安国」の思想なのです。