しかし主張が受け入れられることはなく、日蓮聖人は鎌倉松葉谷草庵焼き討ち、伊豆流罪、小松原の襲撃、龍ノ口での斬首の危機など様々な迫害を受けることになります。
一方で「迫害を受けるのは法華経を広める者の証」とその強い意志を曲げることなく法華経を広める日蓮聖人の姿に、人々は心を動かされ、この頃から次第に教えに帰依する人の輪が大きく広がり始めました。
すると今度は、その力を恐れた幕府が日蓮聖人を、佐渡へと流罪にしてしまうのです。
果てるともなく続く逆境の毎日――。しかし、日蓮聖人はひたすら思索を続け、自らの思想を更に研ぎ澄ませていきます。
そうして、ついに日蓮聖人の宗教思想の結晶ともいえる『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』を著しました。
お釈迦さまの智慧と慈悲を5文字に宿らせた「妙法蓮華経」。その5文字に心から帰依することを表す「南無妙法蓮華経」というお題目を受け入れ、唱えることで、お釈迦さまの功徳を全て譲り受け、誰もが仏となることができる、そう説かれたのです。