私たちの住むこの世界は、楽しいこともたくさんありますが、辛いこと、苦しいこと、嫌なこともたくさんありますよね。お釈迦さまの本当の願いは、そんな私たちひとり一人の苦しみを救うことにあります。ですから、生き迷う私たちのためにお釈迦さまは「私はいつもここにいて、教えを説いていますよ」と説いてくれています。
これを"久遠のお釈迦さま"といいます。
法華経の中で最も大切だとされているのが「如来寿量品第十六」のお経です。なぜなら、前述の「過去・現在・未来を超えて、永遠の存在であるお釈迦さまは、私たちをいつも近くで見守り、助けてくださる」ということが書かれているからなのです。
そんなお釈迦さまの"いのち"を私たちは受け継いでいます。"いのち"とは、単に肉体的な生命としての意味ではなく、お釈迦さまの慈悲の心であり、安穏な世の中を願う想いであり、みんながイキイキ生きるという意志でもあります。全ての生きとし生けるものの"いのち"と、お釈迦さまの"いのち"はつながっています。だから、私たちの心のなかにも、"仏"がいらっしゃる―。
とはいえ、「いつも見守っている」と言われても、宇宙の神秘的な話のようで、にわかには信じがたいですよね。これは、科学的な「理解」の世界ではなく、宗教的な「信」の世界のお話になります。苦しみに満ちた世の中にあっても、一心に仏を恋慕し仏さまを信じれば、必ず救いの手をさしのべてくださる。それが、お釈迦さまの無限の救済する力であり、神秘的な力です。
ですから法華経の信仰は、頭で理解するのではなく、心の信心が大切になります。まず第一に、信じる心を持って仏の道を進む努力をすることが「法華経に生きる」ということ。その大切さが、このお経で説かれているのです。