何ぞ同じく信心の力を以って
妄りに邪儀の詞を宗ばんや
日蓮聖人御遺文「立正安国論」/
文応元年(一二六〇年聖寿三十九歳)
今月の聖語
日蓮聖人御遺文「立正安国論」/
文応元年(一二六〇年聖寿三十九歳)
「本当の信心」
『立正安国論』のこの部分は「人は皆、救われたいと言う同じ信心を持っている。しかしその信心の故に、妄りに邪な言葉を貴んでしまう。凡夫とは悲しい生きものだ」と、厳しく叱りながらも、心配し、慈悲に溢れた親心を示しています。
凡夫と言う普通の人間は、正しいと信じて、純粋に間違いを犯してしまいます。たとえば、エスカレーターの乗り方です。右か左を空けて、急ぐ人に譲るのがマナーですが、左右どちらを空けるのが正しいのでしょうか?と論じられる姿とよく似ているのです。答えは、左右どちらでもありません。エスカレーターは真ん中に立つ設計になっています。片寄った立ち方は故障のもとであり、その上、歩くのは、もってのほかです。してはいけない行為なのです。しかし真ん中に立つと言う正しい行動は、間違いを固く信じている多くの人々には受け入れられません。
人には、人の役に立とうとする心があります。しかしそれが、必ずしも正しいとは限らないのです。信心もそうです。だからこそ「汝早く信仰の寸心を改めて」と一切衆生を救済する深いメッセージが『立正安国論』に示されたのです。