仏眼をかつて時機をかんがへよ。
仏日を用て国をてらせ。
日蓮聖人御遺文『撰時抄』/
文永三年(一二六六年聖寿四十五歳)
今月の聖語
日蓮聖人御遺文『撰時抄』/
文永三年(一二六六年聖寿四十五歳)
=仏の智・仏の徳=
この聖語は、日蓮聖人が身延山の信行の毎日から、それまでの法門をまとめられた『撰時抄』の一節です。
仏眼とは釈尊の智慧のことです。仏日とは釈尊の徳のことです。
釈尊の智恵を借りて「その時」「その人」を考え、釈尊の徳を用いて一切を照らし、
一切の闇を除き、真の姿を浮かびあがらせようとする聖人の祈りです。
この祈りで聖人は、文応元年(一二六〇)七月十六日『立正安国論』を鎌倉幕府に奏進なさいました。
そして聖人は、一身が安らかであることを願うならば、まず何をおいても世の中が穏やかになることを祈らなければならないと示されました。
これは聖人の信仰を端的に示しています。
私たちは、科学のお陰で、便利で豊かな生活を手に入れました。
しかし、幸せと感じている人は驚くほど少ないのです。
それは科学が、それ以外を犠牲にしてきたからです。
科学が模索したものは、周囲の安堵ではなかったのかもしれません。
今こそ、聖人の信仰が必要です。信仰は人生に意味を与え、便利で豊かな生活を、幸せに導くものです。どんなところにも聖人の祈りは届きます。
どんなところでも尋ねて行かれます。どんなときも聖人は、私たちとともに唱題して下さっています。