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今月の聖語

今月の聖語

一生が間賢なりし人も
一言に身をほろぼすや

日蓮聖人御遺文「本尊供養御書」/
建治二年(一二七六年 聖寿五十五歳)

「至極の言葉」
一生涯、賢明に事を処して波風おこすことなく、順調に人生をすごしてきた人でも、最後期のただ一言が仇となって身を亡ぼし、永年の功を台無しとしてしまうことがある。「九(きゅう)仞(じん)の功(こう)を一(いっ)簣(き)に欠(か)く」は口惜しいこと、重々心しなくてはならぬことである。
一言(いちげん)既(すで)に出(い)ずれば駟馬(しば)も追い難し、駟(し)も舌(した)に及ばず、なのである。だから、一言(いちげん)以て之を蔽(おお)う、そのような一言(いちごん)。一言(いちごん)の約、そのような重みのある言葉。男子の一言(いちごん)金鉄(きんてつ)の如し、であるべき発言。これらが求められよう。
言言(げんげん)肺腑(はいふ)を突く誠意と熱意の言葉。ひびき万雷(ばんらい)の切言(せつげん)。声涙(せいるい)倶(とも)に下る慈言(じげん)。対するに、言わずもがなの駄言(だげん)・放言(ほうげん)の類(るい)はよろしく禁制あるのみ。
同人宛ての別状に日蓮聖人は言われる。「千年のかるかや(苅茅)も一時にはい(灰)となる。百年の功も一言にやぶ(破)れ候は、法のことわり(理)なり」と。「法の理(ことわり)」に無知であっては破滅あるのみ。事事(ことごと)、理(ことわり)にはずれてはならぬのである。檀越池上氏宛て両状至言。二句の紹介。