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今月の聖語

今月の聖語

仏法を習う身には必ず四恩を
報ずべきに候か

日蓮聖人御遺文「四恩鈔」/
弘長二年(一二六二年 聖寿四十一歳)

「報恩行」
日蓮聖人の言動を心よく思わぬ人びとは、日蓮聖人をおとしいれようとして悪口を吐き告発した。幕府は人びとの讒言を容れて伊豆の国伊東への流罪に処した。「伊豆法難」である。日蓮聖人四十歳、弘長元年五月のことであった。
流人日蓮聖人は、配流の身の逆境を順境におきかえ、法華経修行にいそしむことができた。かかる果報をもたらせたのは、讒言者たちのお陰であり、国王である執権北条政権の恩恵である。それゆえ国権発動の迫害者である彼等は、日蓮聖人にとってかえって「恩深き人」である。日蓮聖人は己が身を害し仇なす者への遺恨を放擲し、迫害者を賞揚したのである。仇を恩で報い、敵を味方と日蓮聖人は感受されたのであった。
仏教者の歩むべき大道に「四恩」への報謝がある。「四恩」には衆生の恩、国王の恩がある。「伊豆法難」は、感恩報謝の思いを深めさせ、報恩の実践、「報恩行」の自己貫徹日蓮聖人の思索の中に深々と抱懐させたのである。『四恩鈔』は配所伊豆における著作であった。