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今月の聖語

今月の聖語

当時は痛けれども後の薬なれば
痛くて痛からず

日蓮聖人御遺文「聖人御難事」/
弘安二年(一二七九年 聖寿五十八歳)

「必死の教導」
宗教に迫害がおよぶことは古来の歴史が示すとおりである。日蓮聖人の教団も例外ではないばかりか、もっとも過酷な迫害にあけくれたのであって、酸鼻な教団史を形成している。
日蓮聖人も門弟達も、血を流し、はては殺されていった。もとより弾圧は、単にいやがらせではない。棄教を要求し、転向を強いる。かくれみのはない。退転なくば死である。それを知ってそれを乗り越える力、それは信であり、そのゆえにいっそう純潔の信たらざるを得ない。後生の大楽、死後の浄福。これ信あるものの力である。
弘安二年十月一日夜ご執筆『聖人御難事』は、駿河熱原の地の門弟に加えられた国権弾圧「熱原法難」渦中の書状。急迫昂進する事件の真っ只中にあって受難の門弟に伝言された奮起激励の檄文である。無法な迫害下に身をさらす門弟への憐憫。不法な加圧者国家権力への激怒。『聖人御難事』は重書である。後世の我ら『聖人御難事』を読むべし。引文「当時」は、当座・そのとき。漢字「痛」は、原本はかな文字。