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今月の聖語

今月の聖語

天の加護なき事を疑わざれ

日蓮聖人御遺文「開目抄」/
文永九年(一二七二年 聖寿五十一歳)

「諸天の加護」
「文永八年の法難」は、日蓮聖人五十歳の秋・冬に起こった。それは日蓮聖人ご自身と門弟たちに加えられた鎌倉幕府つまり国家権力からの巨大な弾圧事件の総称である。国権は日蓮聖人の教団を根こそぎ消滅せんと謀った。教団殲滅を企てた国権発動は、文永八年九月十二日の「日蓮逮捕」。その深夜、刑場龍ノ口で断行し、失敗に終わった死刑未遂事件「龍口法難」。斬首不履行によって翌十月決行された死島佐渡への島流し「佐渡法難」。弟子たちの捕縛投獄。信徒多数への様々な迫害加圧、それは財産没収・親子主従関係の義絶・制裁金徴収などなど。師弟一同に弾圧の嵐が吹き荒れた。それが「文永八年の法難」であった。教団は壊滅させられたのである。
流人の身を佐渡の雪中にすごす日蓮聖人は、懸命の筆業に従事され、畢生(ひっせい)の大作『開目抄』を擱筆(かくひつ)された。文永九年二月のことである。『開目抄』は門弟への遺言の書・かたみの書であった。万苦を忍び死と引き換える留魂(るこん)の大著であった。
 四面楚歌のただ中にあって日蓮聖人は絶対の救済・安心を確信されていた。そのような日蓮聖人の魂が発する門弟たちへの救いと安らぎの叫び、それが「天の加護なき事を疑わざれ」であった。『開目抄』中に充満する佳句・至言・慈教のその一語である。
 「天」とは十界の一つ天上界(天界)にあって仏法守護を誓願とする神々をいう。諸(もろもろ)の天の神々、諸天(しょてん)善神(ぜんしん)はことに法華経信奉者の守護を責務とされる。すなわち日蓮聖人は門弟たちに「天の加護」必然・必来をいいさとしたのであった。それは絶対の確言であった。