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今月の聖語

今月の聖語

在世の月は今も月
在世の花は今も花
むかしの功徳は今の功徳なり

日蓮聖人御遺文「南条殿御返事/
建治元年(一二七五年 聖寿五十四歳)

「功徳」
この御遺文は、麦の供養への謝辞を述べた中の一節である。
仏弟子阿那律(あなりつ)尊者(そんじゃ)と迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)の故事を引き、供養の得果は仏となった。
だから、「彼をもって此を案ずるに、檀那の白麦(しらむぎ)はいやしくて仏にならず候べきか。おくり給びて候御心ざしは、麦にあらず金(こがね)なり。金(こがね)にはあらず法華経の文字なり。今の麦は法華経の文字(もんじ)なり」と芳志(ほうし)を讃える。釈尊在世の月は今も変わらず同じ月として輝く。花も咲き続けて同じ。懇志(こんし)の功徳も同様である。「昔と今と一同なり」「在世は今にあり、今は在世なり」。古今を通じて至誠(しせい)・懇情(こんじょう)もとることはない。それらの事(こと)共(ども)を思うにつけ、変わることないばかりか、いよいよますますの篤き信仰、熱誠(ねっせい)の信心。讃ずるのほかは何もない。