心すなわち大地
大地則草木なり
日蓮聖人御遺文「事理供養御所」/
建治二年(一二七六年 聖寿五五歳)
今月の聖語
日蓮聖人御遺文「事理供養御所」/
建治二年(一二七六年 聖寿五五歳)
「宗教と生活」
この聖語の前には、「爾前の経々の心は、心より万法を生ず譬えば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す 法華経はしからず」とある。日蓮聖人は、爾前経と法華経の思想、その立脚点の相違を述べている。法華経が説かれる以前の諸経と法華経とは教理上おおいに異なり浅深があると。世間のありように対する認識はその一例であって、法華経以前の諸経は、世間の法を仏法と関係づけておしえているのであるが、法華経はそうではない。法華経では世間の法がそのまま仏法の全体であると解釈し認定するのである。爾前経は世間の現象を対立的相対的に見て、現象のあれこれを仏法と引き合わせて解釈するが、法華経は、端的・直截に世法即仏法と説くのである。
だから心が万法(すべてのもの)を生む大地で生ずる草木は万法というが、そうではなく、心即大地・大地即草木と見る。つまり対立の調和ではなく融合一体。すなわち宗教と生活の一枚化の原理の説示である。