法華経 修行の者の
所住の処を浄土と思うべし
日蓮聖人御遺文「守護国家論」/
正元元年(一二五九年聖寿三十八歳)
今月の聖語
日蓮聖人御遺文「守護国家論」/
正元元年(一二五九年聖寿三十八歳)
「娑婆即浄土」
この聖語の前には「此の文の如(ごとく)んば本(ほん)地(じ)久(く)成(じょう)の円仏は此の世界に在せり。此の土を捨て何れの土を願うべきや。故に~」とある。「此の文」とは、次の三文を指している。「問うて云く、法華経修行の者、何れの浄土を期(ご)すべきや。答えて曰く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云(いわ)く、我常に此の娑婆世界に在りと。亦云(またいわ)く、我常に此に住すと。亦云く、我が此土は安穏と」。
我等が願求し期待し努力すべき浄土の所在はいずこ、というのが質問。我(われ)等(ら)所住のこの世、現実の娑婆世界こそ願うべき浄土である。娑婆を離れて真実の浄土はないから、あらぬ方(かた)を望むべきではない。何故なら久遠の昔から円満の仏で一切の迹仏(しゃくぶつ)の本地である教主釈尊常住常在の地が娑婆であるからである。 要するに現実遊離は仏説に非ず、なのである。