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心の散歩道

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悲しみは癒えず

大地震から丁度二ヵ月目の五月十一日から三日間、被災地に参りました。福島から、宮城、岩手と三県のお寺にお見舞いに行き、多くの方々が埋葬されている場所をお参りしました。

被災地の状況は報道で伝えられている以上に悲惨な状況でした。瓦礫の山と悪臭と粉塵。そんな中、多くの自衛隊員や、ボランティアの方々の献身的な活動に頭の下がる思いでした。

「被災者の方は、家も無くなり、家族も無くなってしましました。特に子供がかわいそうです。先生も友達も学校も無くし、両親も家も失った子供が大勢います。震災直後、三日間も口が利けなかった子供がいます。檀家さんも何人亡くなったか未だに確認できません…」

途方に暮れるお上人にかける言葉も見つからなくお寺をあとにしました。

市内に数多くある遺骨安置所の一カ所に参りましたが、その場所だけでも引き取り手のない百体を超えるご遺骨が安置されており、遺骨箱には亡くなられた方の特徴や身につけていた衣類などが添えられていました。

多くのご遺骨の片隅に小さな棺が安置されていました。着ていた衣類や特徴から我が子だと確信している母親がいます。母親は毎日、お花やお菓子、ジュース、オモチャ等のお供えをしに来ているそうです。わが子と確信がありながらも、行方不明の子どもが多いためDNA鑑定で照合されないと母親の元には帰されないそうです。

津波で破壊された防波堤に立ち、穏やかな海に向かい、なぜこんな事が起こったのだろうか?と、自問自答しながらお経を上げましたが、答えは見つかりません。

被災地を回り一つ感じたことは、私たちは大自然の中に生きているということでした。自然には海や山の恵みもあれば、その逆もある。そんな中で私たちは生かさえれているという事を深く感じました。