思いはここに
この頃、亡くなった師父を思い出します。
発病して、地元の病院に入院しましたが、はかばかしくないので、岡山の病院に転院しました。
再度検査をした結果を、主治医の先生から聞きました。
「たいした病気には見えないでしょうが、重病です。元気になって帰れませんよ」ということです。こんなに体力がありそうで、気分もしっかりしているのにと、気が動転してしまいました。
そのうち主治医の言われたように、だんだん体力が落ち、気も弱くなってきました。
「もう連れて帰ってくれ、もう病院はいやだ」と、日ごと言い出しました。点滴づけの病人を連れ帰って、よけい病気が重くなってもいけないが、最後の思い出にと、兄弟姉妹相談して、日蓮聖人のお会式に、一泊させてあげようと、連れ帰りました。
待望の帰宅も道中の疲れからか、すぐには起き上がれません。しばらく休んで、人の肩につかまり本堂のお祖師さまの前まで来て、木柾を叩こうとしますが、体力がなく、音も声も出ません、ただ手を合わせているだけです。
一晩あけて、病院へ帰ります。自動車の助手席に、外が見えるくらいに座席を傾けて出発です。
車が動き出し、車窓の景色や家々を黙ってじっと見つめ、手を合わせ眼から涙一筋、二筋流れ落ちています。「もうこれで見ることができないんだ。見納めなんだ」と、長年親しんだ人々や、いろんなことを走馬燈のように思い出し、別れを惜しんで、思い出を残しているような感じがします。
心情が解るだけに、泣いては運転に支障すると思っても、涙で前が見えなくなります。助手席を見ないように前だけを見て、涙も拭かずゆっくりと運転をしたことを、まだ鮮やかに思い出します。