貧しい心
先日テレビで、東南アジアの親もなく、住む家もない道路で寝起きしているストリートチルドレンのことを放送していました。
今、物があふれている日本と比べ、彼らはどうでしょう。ごみの中から鉄やプラスチックを拾い、一日一日を生き延びて行くことで精一杯なのです。日本ではファーストフード店やコンビニは、賞味期限が数分過ぎただけのおにぎりやお弁当をたくさん捨てると聞きます。そんなぜいたくな物の扱い方でいいのでしょうか。私達は、あたりまえに食べることができ、生きているだけで幸せなはずなのに、その生活に不平不満ばかり言っています。「あれが欲しい」「これが欲しい」と、よく言います。着るものもあり食べる物もあるのに「あれがいや」「これがいや」「暑い」「寒い」と文句ばかり言っています。
先日、主治医から「中性脂肪が多いですね、食べ物のカスがたまっているんですよ。要するに必要以上のカロリーをとり、体を動かしていない証拠です」と指摘され、自分も恵まれ過ぎの一人だと思い知らされました。太り過ぎの原因は、一に食べ過ぎ、二に寝過ぎ、三に筋力を使わないことだそうです。耳の痛い話です。
法華経の五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)のなかに「その国の衆生(しゅじょう)は常に二食を以てせん、一に法喜食、二に禅悦食なり」と言う経文がありますが、「仏の教えを聞く喜びを以て食となし、心静かなるを悦んで食とせよ」と言われています。我々にとって必要なのは、この2つではないでしょうか。
ご飯を食べる方法は知っていても、ご飯をいただく感謝を失ってしまっている私達。貧しさは心に在るのです。