布施と忍辱
お釈迦さま在世時の仏教、またその考えがタイやスリランカに伝わった仏教を上座部仏教といいます。この上座部仏教の基本的な修行道は、八正道と呼ばれるものです。
八正道とは、正見(正しい見解)、正思(正しい思惟)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行い)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい心の落ち着き)、正定(正しい精神統一)の八つです。
これに対して、私たちの仏教を大乗仏教といい、その修行道としては六波羅蜜というものがあります。
六波羅蜜は、布施(施しをする)、持戒(戒をたもつ)、忍辱(耐え忍ぶ)、精進(努力する)、禅定(精神統一する)、智恵(真理をみきわめる)をいいます。
六波羅蜜の教えは八正道を下敷きにしてありますから、ほとんどが符号します。持戒は八正道の正語・正業・正命にあたります。精進は正精進に、禅定は正念・正定にあたり、智慧は正見・正思に符号します。
しかし、六波羅蜜の中の布施と忍辱は、八正道に合致するものを見つけることができません。そうしますと、上座部仏教とわたしたちの大乗仏教の大きな違いは、布施と忍辱、ということになります。そういう目で、この布施と忍辱の二つと他の十二の修行道を見比べてみますと、見事なほどの違いを発見できます。
布施と忍辱以外に修行道は、全て一人で行える修行方法です。対して、布施と忍辱という修行方法には必ず相手が必要なのです。布施には布施を受けてくれる相手が必要ですし、忍辱とは、他から非難、辱かしめを受けても耐え忍ぶ、ということですから、非難、辱かしめを自分に行う相手がいます。
つまり、私たちの仏教は「善きにつけ悪しきにつけ、一人じゃあなんにもできないよ」と声高々に宣言している教えなのです。だから他の人に感謝しなさい、と言われると、これがまた、なかなかできないのですが……。