神奈川県海老名市
妙常寺 第34代住職
本良敬典上人お寺という場があるのに、なにもしないなんて申し訳ない。平日は幼稚園・保育園の仕事、土日はお寺の勤めをしながら夜間学校に2年間通学し、モンテッソーリ幼児教育国際免許を取得。見聞を深めるために、4ヶ月かけて20カ国以上、南極を含む地球の全ての大陸に渡る。そして24歳にて妙常寺第34代住職となる。現在、花まつりの時期に合わせてお寺を開放しライブを行っている、海老名市 妙常寺の若住職 本良敬典上人にお話を伺いました。
海老名市人口:13万人 寺の規模:檀家数200前後 年間葬儀数:10件前後
お寺の行事の中では「わりと楽しいイベント」ではなく、
「どこでやっても人が集まるクオリティー」でイベントを。
妙常寺ライブと題したこの行事は今年で4回目を数えました。
4年前から始め、花まつりの時期に合わせて行っております。せっかくのお釈迦様の花まつり、どうにか盛り上げたいと思い立ち、なにか出来ないかと探していた時に、知り合いのお上人のお寺で、「演劇」を行っていたものを拝見させていただく機会がありました。その場で感銘を受け、お上人の了解を得て出演者に声を掛け、妙常寺でも行っていただくことになりました。出演者は、演出・役者・ヒップホップシンガー・ダンサーと多様な方々です。今回の題材は芥川龍之介の短編小説「杜子春」、仏教的であり、人間味にあふれた児童向けの教育的な物語です。演劇に、ボイスパーカッション・ギター・ダンスなど様々な要素を取り入れ、子供から大人まで色々な方に楽しんでいただけるように構成しております。公演は昼の部と夜の部の二回、平均100~150名、多い時には200名もの方々に来ていただいております。劇の終わった後には住職から法話をし、来ていただいた方に楽しんでいただくだけではなく、仏教的意識の高まりを促しております。
花まつりに人を集めたい
妙常寺の多くの檀家さんの意識は先祖供養に向いているように思います。お盆・お施餓鬼・年忌法要などには集まりますが、花まつりとして法要をしても、私の力不足でなかなか人が集まりません。しかし、お釈迦様あっての仏教。せっかくのお釈迦様のお誕生日が地味になってしまうのは心苦しいし、人が集まりにくいからといってなにもしないというのもお坊さんとして申し訳ないという罪悪感がある。それに、お盆・お施餓鬼・年忌法要ばかりでは、一辺倒な布教しか出来なくなってしまうようにも思います。仏教の奥深い教えを伝えるにはもっとなにか出来るはずだという思いで行っているのが、この祈願提灯と紙の蓮作り、そして妙常寺ライブです。
直接海外に買い付けに行く花まつりを彩る「蓮の提灯」
妙常寺では、花まつりのお飾りに紙で作る「蓮」と、ビニール製の蓮の絵柄の提灯を飾っております。すべての材料は花祭りが盛大に行われている隣の国・韓国に直接行って買ってきます。直接買い付けに行くのはそれがもっとも経済的に負担が少なく、確実だからです。 紙で作る「蓮」は、まず針金の丸形の土台に台紙を貼り、色とりどりの花びらの紙を貼っていきます。そして最後に自分で作った蓮の下にプリンタで印刷した短冊をつけて、お願い事を書けるようにしてあります。 大きさは紙コップサイズから直径1メートルのものまで大小様々。 花祭りが行われる2週間前から、毎日、檀家さんや幼稚園の保護者などが作りに来てくれます。談笑しながら、作りますから、作り場にも意義があると思います。今年は大小合わせて600個以上の蓮が本堂の中できれいに咲きました。
境内には約1080張の提灯が夕方6時から午後9時まで電灯をともし境内を彩っております。
なぜ1080個かというと、単純に1080個が今現在の妙常寺の電力限界だからです。
提灯は「お釈迦さまの日・花まつり誕生会」へのお祝いの気持ちとして奉納を募り、同時に祈願もお受けし、提灯の下に施主名・祈願を書いた一枚一枚ラミネートをかけた防水祈願短冊をつけています。
奉納金についてはすべて東日本大震災義援金としております。一昨年は10個、去年は60個、今年は130個の祈願申込みがありました。行く行くは境内を埋め尽くす程の提灯を飾りたいと思っております。
「あなたの願いが誰かの助けになる」というキャッチフレーズで申し込みやすくし、名前付き防水祈願短冊をつるす事でお寺に足を運んで見に行ってみようか!という狙い(願い?)があります。
たいがいの道具はホームセンターに売っています。作業自体も手はかかりますが自分一人でも難しくありません。
目標は8000提灯。境内を埋め尽くす程の提灯を飾るまでにはあと何年掛るか分かりません。
とりあえずやってみる。
こういった行事を行っていく上で、もっとも大変なことは観客集め、次にイベントを継続して行うための資金集めだと思います。大きい支出は出演者への支払い、広告費用、花まつりを彩る飾りです。
資金の調達のため、行事のチラシを自分で作り、葬儀屋さんや花屋さん、一般小売店などに広告を出す代わりに募る協賛金などで支出の大部分をまかなっています。もちろん協賛していただくお店には直接足を運び、お願いをして回っております。人集めも同様に自ら宣伝し、協賛店でも宣伝をしてもらい、幼稚園や保育園でも宣伝しておりますが、何より説得力のある広告はリピーターさんの口コミです。多くのリピーターさんのおかげで、沢山の方々に来ていただいております。チケット代も来られる方のほとんどは檀家さんより一般の方です。
妙常寺では保育園も営んでいるので、当日は保育士さんに頼んで、ほんの4,5名のご利用ですが託児をしてもらっています。とりあえず、思いついたことはやってみる!という気持ちで取り組んでいます。ですから、失敗も変更も毎回あります。
来ていただいた一般の方が、その先に檀家や信徒になっていくというようなことは考えていません。
目的は沢山の方がお寺やお釈迦様に触れ合う機会を作り、仏教や宗教に明るく賑やかで取っつきやすいイメージが広まっていけばと思っております。
方法よりも到達地点を意識しています
寺子屋活動を行っていく上で一番必要なものは、やる気だと思います。でも、私自身は誰にも負けないやる気を持っているわけではありません。むしろ、面倒くさがり屋で、なるべく楽な方に流れる性格だと自覚しています。
でも、お坊さんは、布教するために存在しているという思いがあります。特に住職になってから強く念うようになりました。今、私がわからないながらもできるだけやってみようと思うのは、お釈迦さまや日蓮聖人と布教をすると約束したからです。全くの力不足ですが、できることだけさせていただくという気持ちです。当たり前のことだと思いますが、気持ちがなければ何も出来ませんし、逆に本当に気持ちさえあれば、なんでも挑戦出来るのではないかと思います。
初行荒行堂を成満してすぐの4月、今度は子どもの勉強をしようと思い、夜間学校に2年通ってモンテッソーリ幼児教育国際免許というものを取得しました。モンテッソーリ幼児教育というのは、イタリアの女医が医学の視点から理論的・実践的に打ち立てた教育法です。夜間学校に2年間通学し、平日は幼稚園・保育園の仕事をし、土日はお寺の勤めをしながら毎週課題を提出する為、2年間毎日3時間程の睡眠時間でした。それでもなんとか通学し、国際試験に受けて、資格を取得することが出来ました。
教育に思想・理念はもっとも重要だと思います。しかし、教師ならば思想・理念という気持ちはあって当たり前だと思います。しかし、子どもを目の前にした実際の現場においては、必要なものは幼児の能力を伸ばすために今をどう過ごすかという方法と、しっかりと構築された理論だと思います。医学的観点から観た教育法ですが、医学という現実と向き合った教育理論だからこそ、仏さまの真理の教えに通ずると思います。良いものはなんでも取り込み、実践していく中で仏教の豊かな精神性にも触れていってもらえればと思っています。私はそれが日本仏教的だと思うからです。
寺子屋活動も、大事なのは何をするか?ではなく、どこに向かっているのか?だと思ってます。
コンセプト(概念)に優劣はないと思います。今回妙常寺での寺子屋のコンセプトは「命はなくなるということ~なくなった命は生きている命によって消えないということ」ですが、「楽しく過ごす!」でも「修行する!」でも「非日常的な空間であるお寺で過ごす」でも、子ども達に伝えたいことを明確にすることが必要だと思います。到達地点を見据えて、方法を模索する。やりたいことを羅列するよりも、何を伝えたいかを決めることで何をすればいいかが出てくるのではないかと考えています。もちろん、想定通りになりません。一所懸命考えても、まだまだ経験不足。
ですが、失敗をし、訂正をし、繰り返すことが精進なのかな~とぼんやり思っています。