レポート
更新日時:2011/08/26
いのちの大切さを身体で覚える4日間
千葉県夷隅郡大多喜 妙厳寺
野坂法行 住職山寺留学とは、子供たちが親もとを離れ、
自然体験や生活体験を通し
「いのちの大切さ」を学ぶものです。
「山寺留学」のねらい
今回は、千葉県夷隅郡大多喜の妙厳寺(野坂法行住職)において8月6日から9日までの4日間で開催された「山寺留学」の紹介をさせて頂きます。「山寺留学」は、子どもたちに、自然体験や生活体験を通していのちの大切さを身体で感じてもらい、野外炊飯や様々なゲームなどの楽しいプログラムを通して豊かな創造力と協調性を育てていくということを主眼において開催されております。実際、参加した子どもたちの保護者は「東京では決して体験することができないことを体験し、豊かな自然に触れて心身ともに成長していってほしい。また、初対面の子どもたちと触れ合うことで協調性を養ってほしい。」と、子どもを参加させた理由を述べておられました。
繋がり
「山寺留学」のスタッフの特徴として、僧侶は数人しかおりません。会社員・IT関係・主婦・学生・・・スタッフの普段の職業は多岐に渡っております。そのため、様々な視点から子どもたちのことを見ることができるので、そのことが子供たちの成長の手助けになっていると感じました。また、スタッフの多くは、子どもの頃に参加者として「山寺留学」を経験している、言わば“先輩”なのです。さらに、参加者の親が子どもの頃に参加者だったというケースもあります。それは、自分が「山寺留学」に参加することで成長できたという思いがあるからこそ、自らがスタッフとなり、または我が子を「山寺留学」に参加させるのです。現在の「山寺留学」は、そのような繋がりによって受け継がれているのです。
時の束縛からの解放
今年から取り入れた面白い試みがあるので紹介させて頂きます。それは、お寺の時計を全て外してしまうことです。そのねらいは、普段、知らないうちに時間に縛られた生活をしてしまっている子どもたちを“時の束縛から解放する”ということです。そのため、様々な課題を行なう時、予定時刻を大幅に過ぎてしまう場合もありますが、全て子どもたちにやらせます。大人がやってしまうのは簡単ですが、子どもたちに自分の力で物事を解決させるのが大切なのです。
野菜収穫を通していのちの大切さを学ぶ
プログラムの中に、お寺の境内にある菜園で実際に野菜を収穫する農業体験というものがあります。都会に住んでいる子どもたちにとって、自分たちで野菜を収穫するというのは貴重な体験です。そして、自分たちで収穫した野菜を自ら調理して食べることで、「私たちは他の生き物のいのちをいただいて生きている」ということを身を持って感じることができるのです。
「夢」について
ランタン工作というプログラムの中で、「自分たちの将来の夢」というテーマで子どもたちはランタンに絵を描きました。子どもたちは、歌手やケーキ屋さんなど様々な夢を描き、ランタンを完成させました。その日の夜にお寺の境内を探索するナイトウォークが行なわれ、その際に、本堂前の階段に火を灯したランタンで“ゆめ”という文字を描き出しました。そして、その“ゆめ”の灯りの前でスタッフの市川智啓上人(東京都妙安寺修徒)が、先日、宮城県の小学校の子どもたちにも同じように「自分たちの将来の夢」というテーマでランタンに絵を描いてもらったというお話をされました。宮城県の小学校の子どもたちの夢の多くは、歌手やケーキ屋さんなどではなく「家族と暮らしたい」や「友達と会いたい」といったものだったそうです。市川上人は「今、こうやって当たり前のように友達と会えるということはとても幸せなことなんだ。そのことを忘れないでほしい。」とおっしゃっていました。普段はスタッフの話を聞く時も落ち着きがない子どもたちですが、この時は全員が真剣な眼差しで市川上人のお話を聞いておりました。
「また来年も来たい!」…子どもたちのその言葉が「山寺留学」の魅力を表しています。
道場主である野坂法行上人は「ここは人間道場です。人は大地を耕し、種をまき、芽を育てて、自分に必要なものを作り人間になりました。必要とするものを作るということが人間の営みです。それを体験しないで立派な人間にはなれません。お湯を沸かすこと、食べ物を作ること、そのようなことを山寺留学ではみんなと一緒に体験するのです。」とおっしゃっておりました。自分の家にいる時には親が当たり前のように作ってくれる食事を自分たちで作り、当たり前のようにやってくれる掃除を自分たちで行なうなど、子どもたちは人間としての本来の営みを体験したのでした。確かに、最初は文句を言いながらやっている子どもたちも多くいました。しかし、最終日、子どもたちは揃って「また来年も来たい!」と口々に言っておりました。その様子を見て、子どもたちにとって「山寺留学」というものが、いかに魅力的なものであるかということを実感いたしました。