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てらこや活動

レポート

更新日時:2011/05/25

てらこや活動は地域や社会に「場・知・縁」を提供するコミュニティに

兵庫県立大学 環境人間学部教授 岡山県妙興寺 寺庭婦人  岡田真美子氏

兵庫県立大学 環境人間学部 教授 岡山県 妙興寺 寺庭婦人 岡田真美子氏
兵庫県立大学 環境人間学部 教授
岡山県 妙興寺 寺庭婦人
岡田真美子氏
宗教と環境の関係性を包括的に捉えた「環境宗教学」を唱え、
さまざまな社会活動を行っている岡田真美子氏に、
今求められるお寺の役割や、「てらこや活動」に期待することを伺いました。

人・自然・社会と密接な関係性の中にある宗教
私の専門である「環境宗教学」とは、ひとことで言うと環境と宗教の関係を探究する学問です。例えば古くから寺社仏閣があることで、その周囲の自然が破壊されずに残っていることがあります。あるいは、気候風土や時代性によって流行する宗教も異なります。環境宗教学とはすなわち、人・自然・社会といったさまざまな環境と人間の関係学なのです。

現代において、お葬式や法事以外では、お寺との関係性が稀薄な人が多いかもしれません。しかし、人の死に接するという人生の一大事に、その支えになってくれるお寺の存在はとても重要です。

同じお寺でも、うち(岡山県妙興寺)のように檀家さんのお世話を中心にしている所もあれば、観光がメインのお寺、地域活動の中心になっているお寺、山の中で静かな環境を提供しているお寺など、そのお寺を取り巻く環境によってさまざまな役割があるといえます。

地域のハブとして場・知・縁を提供するお寺の役割
今、求められているお寺の役割の一つとして、「場」の提供ということが挙げられます。地域の集会などにお寺を役立てることで、地域のハブとしての存在を発揮していくことができるはずです。

また、お寺は昔から地域の精神の中心でもあったので、「知」を提供するという役割を担うこともできます。さらに、お寺ならではの幅広いネットワークを活かし、お寺に相談に来られた方に、「それなら檀家の○○さんが詳しいですよ」「役場の○○さんを紹介してあげましょう」という風に、「縁」を提供することもできます。

最近よくヨーガの教室などをよく見かけますが、例えばお寺で体系的に正しいヨーガの教室を開くといった活動を通して、「場・知・縁」を提供していくという方法もあるでしょう。

今までお寺にあまりご縁のなかったニューカマーに対しては、WEBサイトやツイッターなどのソーシャルメディアによる「場・知・縁」の提供が有効になってくると思います。東大寺の森本公穣上人はツイッターで日々精力的に情報発信をされており、非常に学ぶものがあります。

お寺の強みは、継続的な信頼で結ばれた濃いネットワーク
お寺と自治体を比べると、まずネットワーキングの仕方が異なります。自治体は何ごとにも平等に対峙する必要があるため、時として融通が利かない面がありますが、お寺は個々のカラーに合わせた運営や選別が自由にできるというメリットがあります。長年の信頼で結ばれた濃いネットワークを基に、その人その人に合わせた柔軟な対応ができるのです。また、自治体のトップは短期間に入れ替わってしまいますが、代々続くお寺の住職は檀家や地域と継続的に関わっているため、より親密で理解度が高いという安心感もあります。

東日本大震災では、当初はお寺は公共の場ではないとして避難所として認められず、被災者が身を寄せていたにもかかわらず、物資が行き渡らなかったそうです。しかし、お寺は地域を守護するという意識が高く、安全な場所にあることが多く、実際に多くの避難者の心の支えにもなりましたので、行政は地域のよりどころであるお寺をもっと活用すべきなのではないかと思います。

てらこや活動を現代の「講」に
奈良時代に始まり、室町時代に爆発的に広まった勤行(※仏前に祈りを捧げること)の会である「講」は、宗派も地域も身分も越境した集まりでした。講の中には「汁講」といって、勤行の後に共食しながら垣根を越えた交流を楽しんだ講もあり、「無礼講」という言葉が生まれたりもしました。この「講」が今も残っている所は、地域ネットワークがしっかりしています。

私は日蓮宗の「てらこや活動」が、現代の「講」になることを提言したいと思います、多彩なテーマの「講」設け、仏教を良く知らない人にも広く門戸を開けば、学びや気づきや癒しの場を提供する良いきっかけになるはずです。そのためには、お寺同士も宗派を超えて協力し合う必要があるでしょう。

よくアンケートなどを見ると、日蓮宗は「閉鎖的」という印象を持っている方が多くいるように感じますが、歴史的に見ても、地域や社会に対して非常に真摯かつ柔軟に接してきたといえます。

「カンカン坊主」の社会活動に学ぶ
京都の小倉山にある日蓮宗常寂光寺の長尾憲彰上人は、1970年代に嵯峨野の景観を守るため、清掃ゲリラ隊長として自ら「カンカン坊主」と名乗り、ポイ捨てされた空き缶を拾い続けた市民運動家でした。やがてその運動は嵯峨野一帯のお寺や商店も巻き込み、京都市中に広がってきました。

このようにご住職のパーソナリティーを活かした活動というのも、お寺の役割の一つといえます。こうしたロールモデルは、各お寺にとっても大いに参考になると思います。これからは、ますますWEBサイトなどを通じて各お寺の多彩な活動を紹介し、お寺同士がアイデアを共有していくことが求められてくると思います。

お寺は与え合う社会の見本となるコミュニティに
戦後、我々は稀に見る平和な時代を享受してきましたが、東日本大震災以降、もはや経済中心の生き方を見直し、仏教的な戒めでもある少欲知足が当たり前の生き方にシフトしていかなければならない時代にスイッチしたといえます。

長い伝統に培われた知を継承してきた宗教には、こうした時代を生き抜く知恵があるはずです。現代の拝金的な価値観を変えることができるのは宗教者しかいません。なぜなら宗教者は、何を分け与え合うべきかということをよく知っているからです。

現代は、他人に分け与える贈与経済が忘れ去られてしまっています。コミュニティはラテン語の「cum=共に」と「munus=贈りもの」が語源とされていますが、コミュニティとはまさに信頼ベースで与え合う人の集合なのです。お寺はまさにそうした存在といえ、これからの時代の見本になっていくべきだと思います。

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