星光喩常任布教師法話「いのちに合掌」H24/3/28
星光喩常任布教師プロフィール:埼玉県川越市本応寺住職
【座右の銘】
「慈悲の一分」に生きよう
【得意分野】
実施しているのは、講演、講話、講義、法話など。
【コメント】
「難しいことをやさしく、やさしいことを深く」という言葉があります。「深いことをおもしろく」ともいいます。心がけていますが、いまだ及ばずです。
布教には「直接布教」と「間接布教」(社会活動、ボランティア、平和活動他)が「車の両輪」となって行われることを大切と考えます。宗門は今特に「直接布教」(教えを直接伝えて語っていく、題目とはなど)が必要と考えます。
【形式】
法要:開経偈→欲令衆→お自我偈(焼香)→唱題(声掛け)「合掌をお願いいたします。皆さんご一緒にお題目お唱えいたしまして、仏さまにご供養をいたします。」→回向→四誓
【ポイント】
法話:大切なのは葬儀の打合せの時に故人について話を聞き記録しておくこと。病気、臨終、性格、仕事、家族、趣味、好きなTV、食べ物、嫌いなものなど
【お題目】
ではご法事の場合という設定でお話をさせていただきます。
皆様方と同じなのですが、欲令衆を唱えて、お自我偈でお焼香、本尊抄を読んで、お題目の時ですね。必ず「合掌をお願いします。大きな声でご一緒にお題目をお唱えいたしまして、仏様に供養をいたします」と声をかけます。みんな大きな声で唱えますので、それが一番やはり理屈よりも、まず大事と思いずっと実践をしております。
終わって、必ず法話をするわけですが、基本的にはやはりまず故人の追悼の言葉ですね。よいところを褒める。それから、お葬儀の打合せの時にリサーチをして、テレビは何を見ていましたか?食べ物は何が特に好きでしたか?嫌いなものはありましたか?そういったエピソードを聞いておくことは、非常に大事と思っています。
また、最近は「魂の繫がり」という話をしております。
人間というのは誰しもですね、横軸と縦軸の交わるところにおります。
横軸は今こうして一緒にお題目を唱えて、今一緒に生きている川越の人、埼玉の人、日本の人、ずーっと世界の人が一緒に生きている。今を一緒に生きているのが横軸です。
縦軸というのは、自分がおりますと、必ず、お父さん、お母さんがいて、そのまたお父さん、お母さんがいて、ずーっと、繋がっているわけです。
さっきの横軸は独楽のこの肉の部分、そして縦軸の方は独楽の芯の部分。縦軸の芯が真っ直ぐになっていないと、独楽もですね、グルグルグルグル、変なふうな形で回ってしまう。だから縦軸は特に大事です。
人間というのは錯覚をしておりまして、生きているものだけで生きている、とそう思ってしまいます。横軸だけですね。でもそうじゃないんだ。人間っていうのは、生きているものと、縦軸の先に亡くなったものと一緒に生きているのがこの世界です。
亡くなった人は、過去は関係ないってことではなく大聖人の御妙判『諸法実相抄』にも「三世各別あるべからず」とあります。
過去と現在と未来と三世がそれぞれ別々にあるのではなく、密接に繋がっている。「三世各別あるべからず」で、生きている人も亡くなった人も一緒に生きているのがこの世界、と仏教は教えます。
女優の若尾文子さんをご存知ですか?最近コマーシャル出ていますよね。真っ白な犬と戯れてですね。会話しているコマーシャルやっています。あれはソフトバンクですかね。犬が会話するんですね。
ご主人が世界的に有名な建築家で黒川紀章さん。この前の前の参議院選挙に立候補しましてね。皆様方もテレビではご覧になったと思うんですが、お金を出しまして、こういう四角いガラス張りの透き通った車を作って、そこに若尾文子さんとね、黒川紀章さんが並びまして、「一票お願いします」と選挙運動をやっておりました。
残念ながら落選したんですが、覚悟の選挙みたいなことを言っていて、平成19年10月12日に亡くなりました。大聖人のお命日、前の日ですね。
その当時、若尾文子さんが、一歳年上74歳、黒川紀章さんが73歳。年が明けましてから、親しい人が集まりまして「偲ぶ会」というのをテレビのニュースで放送していました。
若尾文子さんがマイクをもちまして、ご挨拶をしていたんですけども、あれ、女優さんっていうのは言うこと違うなって思って書き留めたんですが、はじめこう言ったんです。
「うちの主人の肉体が亡くなっちゃったんです」とおっしゃってね。
「うちの主人の肉体が亡くなっちゃった」とおっしゃって、普通は癌でこうなりましたとかですね。脳梗塞で倒れましたからって言い方するんですけども、のっけからそうおっしゃったんですね。
でも確かにその通りですね。亡くなりますと、一緒に話をしたり、ご飯を食べたり、時には喧嘩をしたりってできなくなりますからね。もう二度と会えないってことになります。肉体の方はね。そういうことになります。「あっそうだな」と思っておりましたら…。
その次にですね。これはあの「ある人から教わったんですけど」っていう前置きがあったんですけども、「ある人から教わったんですけれども、人間っていうのは二度死ぬっていうふうに教わった」とおっしゃったんですね。
「あれ、二度死ぬって何かな」と思いましたらば、一度目はですね。心臓が止まってお別れをした時ですね。
「二度目は」ですね、「うちの主人のことが皆様方から忘れられてしまって記憶がなくなってしまった時だ」とおっしゃいました。記憶がなくなってしまった時だって「ですからどうぞ忘れないでいつまでも思い出してやってください」というご挨拶だったのですけれども。
その時に思いましたのは、黒川紀章さんについて新聞やテレビが取り上げなくなっても、おうちの方の記憶と記憶が繋がっていくので、世間の記憶が薄らいでも、近しい人の記憶がなくなることはないんじゃないか思いました。
でも仏教の方では、記憶と、記憶というよりも、亡くなりますと「魂と魂の繋がり」だってお教えるので、「いやーもっと深い気持ちで繫がっているんだけれど」と思いながら書き留めまたものです。
「魂」っていうのは、「大和魂」とか、あるいは「職人魂」とか、私はジャイアンツ・ファンで報知新聞をとってたんですけども、「ジャイアンツ魂」なんて言います。最近、読売と朝日が喧嘩はじめたりしてジャイアンツ魂もおかしいんですけども…。
魂っていうのは字引を引きますと、こういうふうに出てきます。「肉体を離れた精神的本体」とかですね。肉体を離れた精神的本体、また逆にですね「肉体に宿って不思議な力のあるもの」なんて出てきます。
漢字で書きますとね。あの人間の方の魂は「云う偏」に右は「鬼」みたいに書きますね。こう書いてね。最後こう「ム」って書きますね。「コン(魂)」とも言いますね。
亡くなった人のたましいも漢字で一字ですね。ご存知のとおり。亡くなった人の魂も漢字で一字です。お塔婆に何々の霊と書いてありますね。「霊」(たましい)ですけど、これですね。「雨」って書いてですね。それで並木の「並」って書きますね。けれども「霊」これ略字なんです。で、元の字はね。こういう字なんです。
字引引きますと「たましい」って出てきますけれども、これ雨は同じなんですが、その下に丸がちょんと三つありますね。この丸い点というのが、これは天から降ってくる雨の雫。普通の雨の雫じゃなくて、清らかな雨の雫をあらわします。
で、下に人間みたいな形が二つございますね。両脇にあります。これは確かに人間を表すのですが、普通の人間ではなくて神に仕える清らかな巫女さんをあらわします。神社に行きますねと、真っ赤な袴に真っ白な着物を着た巫女さんです。ですから雨を隠しましてこの下に女って書くと巫女っていう字なんです。巫女って字なんですね。
霊っていうのは、「たましい」という意味です。でも霊なもんですから、最初は、あの亡くなった人だけの「たましい」って使うかと思ったんですけども、これは、生きている人にもよく使いますよ。
例えば、相撲の白鵬が大関から横綱になります時に相撲協会から使者が来まして、「横綱に推挙します」と口上を言うんですね。紋付袴で手をついて口上を言うんです。
私は貴乃花ファンだったんですけども、貴乃花は法華経の「『不惜身命』で頑張ります」と言ったんです。身命を惜しまず命懸けで頑張ります、と言ったんですね。
白鵬はなんと言ったかといいますと、「相撲道に全身全霊で頑張ります」と「全身全霊で」と言いました。全身全霊ですから身も心も魂も全てでという意味です。これはよく使います。
この間も参議院選挙の時にも自民党の谷垣さんがね。谷垣さんは日蓮宗の檀家で、あっ、奥さん亡くなられましたが、「自民党のために全身全霊で頑張ります」と言っていました。
私、この「霊」というのを、違う言葉に置き換えますと、「心」っていう字に根っこの「根」と書く言葉があるんですが、「霊」とは「心根」ということじゃないかと思うんですね。
今日の仏様、○○さんは「心根優しかったね」と言いますとと、その人の芯っていいますか、核っていうのは、一言でわかりますね。そのいい心根がぐっとこう結晶したみたいなものを仏教では魂とこう言っています。
これは「魂の繋がり」ですよね。「記憶と記憶の繋がり」ですと、こうやって本堂までお運びいただいてですね、お経をあげさせてもらえないんじゃないかと、こう思うんです。
こうやってお運びいただいて、お経をあげさせてもらうのは、記憶と記憶じゃなくて、魂と魂が繋がっているからと思います。
何故かって言いますと、故人が(○○さんが)仏壇の中から、息子さんや娘さんを見てですね、「もうじき三回忌だからお寺へ行って坊さんにお経をあげてもらいなさい」なんて言わないんですよね。そうは言わないけれども、こうやってお運びいただくということは、間違いなく魂と魂が継がっているからだと思います。
宗教っていうのは必ず拠り所の教典があって、私どもは法華経なのですが、キリスト教はご存知の通り聖書ですね。オバマ大統領は、聖書の上に手を置いて「頑張ります」って誓いました。
日本は仏教の国で、「法華経」がお経の王様といわれ、聖徳太子以来大事にされたお経です。総理大臣も必ず就任の時には、お経の上にこう手を置いて、宣誓すると少し違うんじゃないかとこう思うんですけども…。
そしてその法華経は一部八巻二十八品って言います。八巻っていうのは、昔はあの忍者の巻物みたいなものが八つあったので八巻ですね。法華経一部は八巻があって、二十八品、小説で言えば第一章から第二十八章まであって、その中の一番大事なところが第十六の如来寿量品、その中に「生きてあるがごとく一緒」という意味の言葉があります。それが、
常在此不滅(常に此にあって滅せず)
常住此説法(常に此に住して法を説く)
です。
つまり、亡くなった故人と、魂と魂がつながった時には「生きてあるがごとく一緒」なんですね。それを実際のお経文では「常在此不滅」「常、在、此、不、滅」(じょう、ざい、し、ふ、めつ)「常にここにあって」って読みます。
亡くなったお母さんもね、日蓮聖人も、お釈迦様も、常にここにあって魂と魂が繋がった時には「常にここにあって滅せず」ですから、「生きてあるがごとくに一緒」ですよ、ということなんです。
次の「常住此説法」についてですが、本堂のご本尊は一塔両尊四士ですが、仏様とも、魂と魂がつながった時には、インドのお釈迦様の本体の本仏の釈尊も、日蓮聖人とも、魂と魂がつながった時には常に「常、住、此、説、法」「常住此説法」で「常にここに住して教え(法)を説いている」。その教えを説く声が聞こえてきますよ、と説かれています。
魂の繫がりは非常に大事です。魂と魂が繫がっているということは、生きているものだけで生きているのではなくて、亡くなった人もともに一緒に生きているんだっていうことですね。
先程お題目をご一緒にお唱えいたしました。こうしてお集まりいただいて、ご一緒にご供養いただきました。故人の○○様は、あの霊山浄土の日蓮聖人のね、右か左にいらっしゃっています。
ところで、川越には天台宗の喜多院という大きなお寺がありまして、そこに「多宝塔」、木造の多宝塔があります。ご本堂のご本尊をまつっているのが、多宝塔という塔なのですが、その中にある「ご本尊」っていうのは何かって言いますと、お檀家の方には、お仏壇の真ん中一番高いところに曼荼羅本尊という文字の曼荼羅をかけてもらっています。この「ご本尊」というのは一言で言いますと、「根、本、尊、崇」(こん、ぽん、そん、すう)といって「根本尊崇」。「尊」は尊重の尊で、「崇」は崇拝の崇です。ですから根本から尊重されて崇拝されるものをご本尊といいます。
ご本尊の中のお祖師様、日蓮聖人は、法華経をお持ちになっている。法華経を説いているお姿です。
今日は亡くなったお母様のご供養。日蓮聖人の右か左にいらっしゃって、ニコニコしながら皆様のお気持ちを受け止めていらっしゃると信じております。
合掌