吉本光良常任布教師法話「いのちに合掌」H24/3/28
吉本光良常任布教師プロフィール:山口県山陽小野田市妙蓮寺住職
【座右の銘】
一歩前進
*『日蓮宗読本』『宗義大綱読本』『信行必携』を大切にして、檀信徒に正しい日蓮宗の教えを伝道しましょう。
【得意分野】
仏教入門的な仏教の基本の法話及び講演
【コメント】
広く浅い知識。「NHKスペシャル」の視聴マニア。
はい、皆さんこんにちは。私は山口県山陽小野田市妙蓮寺住職、吉本光良です。
今から一週間前、春の選抜高校野球が開幕になりました。その開幕式で東日本大震災の被災地であります宮城県石巻工業高校の阿部翔人主将が宣誓をしました。
この新聞に写真が出ておりますが、「東日本大震災から1年、多くの人が苦しみ悲しみの中を経験致しました。」と始まるそれでこの宣誓の中でこういう文章がありました。
「人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて辛いことです。しかし日本が一つになり、その苦難を乗り越えることが出来れば、その先には必ず幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。」
素晴らしい宣誓をしてくれました。次の日、多くのメディアが取り上げて一大ニュースとして賑わさせました。
私は山口県の出身ですけども、山口県長門市仙崎生まれの金子みすゞという詩人がおります。昭和初期の原風景を詩にした童謡詩人と言われた金子みすゞさんであります。
この金子みすゞさんは、仙崎から下関へ嫁いで参りまして、結婚して一人の娘さんをもうけました。ところが夫が、いわゆる放蕩で不治の病をえまして、その病をみすゞさんにうつしてしまいました。
答えのない悲しみの中で一生懸命に、詩をつづり、その苦しみの中でも娘を思い、色んな詩を作ってくれました。その中で一番有名なのが『わたしと小鳥と鈴』であります。
わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥はわたしのように
地面(ぢべた)をはやくは走れない
もうすぐ春の繁殖期がきまして、雀たちが軒先に巣を作って、そして幼い小鳥が地べたに降りてよちよちしております。それを捕まえられると思って私も何回も追っかけたんですけれども、今はその小鳥の姿もなかなか見ることが出来ません。追っかけていきますと、ばたばたばたーっと屋根の上に上がってしまいます。
飛べる小鳥はわたしのように
地べた地面(ぢべた)をはやくは走れない
わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけど
あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんの歌は知らないよ
鈴はリーンリーンといい音は出しますけれども、あくまでもリーンリーンだけであります。それに比べて私は色々な童謡も歌えるよ、そして、
鈴と小鳥と
それからわたし
みんな違って
みんないい
今では文部省の推薦もありまして小学生の低学年の方はみんな知っている歌であります。詩であります。ところが、
みんな違って
みんないい
と言いながら、なかなか腑に落ちません。心の底に届いておりません。それが今のこの日本の現状であります。
法華経の薬草喩品第五の中に『三草二木の喩』というのがあります。
「ある時、干ばつが続いて大きな木も小さな草も今にも枯れそうな時に、しとしとと雨が降り出して、草も萌えあがり、小さな木も大きな木も息を吹き返す、という喩え話であります。この雨というのは、すなわち法華経の教えであり、全ての人が仏の慈悲の光の中でその本来の姿をちゃんとあらわし、仏の姿をあらわすんだと。だけれども小さな草は小さな草、大きな木は大きな木、小さな木は小さな木、それぞれみんな違うんだ。それでもやっぱりみんな仏の姿なんだ。」
という喩えであります。
同じく金子みすゞの詩に『土』というのがあります。
こッつんこッつん
ぶたれる土は
よいはたけになって
よい麦生むよ
昔は冬の寒い時は、麦畑に霜柱が立ちますので、その麦畑、芽の上から踏んでいきます。そして立派な麦が育ちます。
こッつんこッつん
ぶたれる土は
よいはたけになって
よい麦生むよ
朝からばんまで
ふまれる土は
よいみちになって
車を通すよ
人がいっぱい踏み付けるところはそこが道になる。
ぶたれぬ土は
ふまれぬ土は
いらない土か
そしたら踏まれもしない、ぶたれもしない土はいらないのか。
いえいえそれは
名のない草の
おやどをするよ
やっぱりあちらこちらでその草が生えて、そしてその命をまっとうするよ。みんなみんなそれは違って仏なのよ、仏の姿なのよ、それが法華経の教えの根本であります。
その誰でも仏になるということを、礼拝の行として実践したのが、法華経の20番目に出ております『常不経菩薩品』の常不経菩薩であります。
「私はあなたを礼拝致します。あなたもきっと菩薩の道を行じてきっと仏になれる筈でございます。しっかり頑張ってください、あなたもきっと仏になれますからしっかり頑張ってください。」
会う人会う人にみんな拝んでいった。
これが宗門運動の『但行礼拝』であります。すべての人の中に必ず仏を見る、仏を認めるということであります。みんな違ってみんないい、みんな仏の姿なんだということが腑に落ちていれば、心の奥底で納得出来れば、自然に出来る姿であるはずであります。
それを『如来寿量品第十六』の仏の悲願として、皆様方は『毎自の悲願』ということで何度もお聞きになっていると思います。
毎に自らこの念をなす
何を以ってか衆生をして
無上道に入り
無上道というのは最上の道、仏になる道、みんなが仏になれる道であります。その道にみんな入って速やかに仏身を成就して、みんな仏の姿を表してくださいよ、それが法華経の根本の願い、最上の願いだと存じます。
それをそのまま詩にしたのが宮沢賢治の『雨ニモマケズ』という詩であります。雨ニモマケズという詩は宗門運動発行の『但行礼拝パンフレット』の中に入っております。
金子みすゞさんの詩から言いますと、この東日本大震災の後に流行りました『こだまでしょうか』というのがあります。
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう
こだまでしょうか
いいえ、だれでも。
この詩が震災の後、公共広告機構のCMとして流れました。その後、金子みすゞのブームが起りました。
金子みすゞの、その心こそが一番最初に申し上げましたけれども、あの石巻工業高校の主将が言った答えであるかもしれません。
「人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて辛いことです。しかし日本が一つになり、その苦難を乗り越えることが出来れば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。」
日蓮大聖人のお言葉からいえば、それこそが『立正安国論』の、
「汝信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」
みんなが仏になる道を歩みましょう。その心を持って合掌をしてお題目を唱えて、みんなが拝み合うことが出来たならば、それこそがこの立正安国お題目結縁運動のお題目の輪を広げることになるのかと思います。
仏の心と仏の心がこだまする世界、それを今、皆様方と共にお題目結縁運動でお題目の輪を広げていきましょうというのが但行礼拝の運動だと信じます。
どうぞ皆様これからもお題目の輪を広げていっていただきたいと存じます。ありがとうございました。
【お題目】