

日蓮聖人が『立正安国論』を奏進したのが文応元年(1260年)のこと。聖人の教えが息づく鎌倉の名刹を巡り、心穏やかな時間を過ごしたい。
鎌倉駅からのんびり巡る花の寺
飢餓や疾病など災害が相次いだ鎌倉時代、日蓮聖人は宗教と政治のあるべき姿を文書『立正安国論』を著した。その当時の権力者、北条時頼に奏進(※)したが幕府には受け入れられず、日蓮聖人は伊豆に流されてしまった。幾度となく法難(他宗教からの迫害)に遭い、日蓮聖人は宗教家として苦難の道を歩んできた。聖人の足跡をたどりながら、のんびりと鎌倉巡りを楽しんでみたい。
鎌倉駅東口を降りて、若宮大路を横切ったあたりで本覺寺に出会う。
佐渡流罪を解かれた日蓮聖人はここにあった夷堂(えびすどう)に滞在して布教を再開した。永享8年(1436年)、このゆかりの地に足利持氏(もちうじ)が日出上人を開山として創建。身延山久遠寺にあった日蓮聖人の遺骨を分骨したことから、「東身延」と呼ばれる。境内には夷堂が建ち、鎌倉七福神の一つとして正月はたくさんの人出でにぎわう。
本覺寺から滑川を渡り、西へ向かえば花の寺として知られる妙本寺がある。
妙本寺は、身延山久遠寺、池上本門寺と並ぶ日蓮宗最古の古刹で、境内は二門(総門と二天門)二堂(本堂と祖師堂)の日蓮宗の典型的な伽藍で構成。創建は文応元年(1260年)で、北条時政によって滅ぼされた比企能員(ひき よしかず)の末子、能本(よしもと)が比企一族の菩提の弔いを日蓮聖人に願い出て、屋敷を献上したのが始まりだという。
市街地に程近いところにありながら自然あふれる境内は、春は桜やカイドウ、夏はホタルが舞い、秋は鮮やかな紅葉に覆われる。
妙本寺から南東へ徒歩10分ほど歩くと日蓮聖人が『立正安国論』を書いたといわれる安国論寺がある。日蓮聖人が鎌倉に初めて訪れた際に道場とした岩窟が始まりで、弟子の日朗上人によって寺が建立された名刹。鎌倉の寺の中でも屈指の花の名所で、春の桃の花やシダレザクラに始まり、アジサイ、紅葉など四季折々の風情に触れることができる。境内高台の富士見台に上れば、見晴しのよい日は富士山の雄姿を拝むことができる。
樹齢200年のカイドウがシンボル
鎌倉駅から江ノ電に乗って長谷駅へ。閑静な住宅街の中をのんびりと散策すれば、花の寺として知られる光則寺が現れる。この寺は北条時頼の家臣・宿屋光則(やどや みつのり)が日蓮聖人の弟子・日朗上人を幽閉した地で、いまも裏山にはその土牢が残る。後に日蓮聖人に帰依した光則が、日朗上人を開山として自邸を寺とした。
樹齢200年といわれるカイドウの古木は、鎌倉市の天然記念物に指定されている。またボタン、藤、ショウブ、山アジサイ、ノウゼンカズラ、ヒガンバナなど、四季を通じて花が咲き、遠方からの参拝客も多い。
処刑を免れた日蓮聖人の霊跡
江ノ電の中心となる江の島駅にも日蓮聖人ゆかりの名刹が残る。江の島駅付近は昔の商店が並ぶ下町らしい雰囲気で、ぶらりと歩くだけでも楽しい。その江の島駅から徒歩3分ほどにある龍口寺は、もともとは刑場跡で日蓮聖人が処刑を免れた場所でもある。
日蓮聖人の斬首が執行される深夜、江の島の方から満月のような強い光が飛んできて、役人の目をくらました。そのため処刑は中止となり日蓮聖人は放免、この出来事は「龍ノ口法難」と呼ばれるようになった。寺の創建は、日蓮聖人が亡くなった後、「龍ノ口法難の霊跡」として延元2年(1337年)弟子の日法上人が一堂を建立したのが始まり。
毎年9月11~13日は「龍口法難会」が行われ、特に12日は門前にたくさんの露店が立ち、数十の万灯が灯される境内には、数十万人の参拝客が訪れる。
豊かな自然と厳粛な寺の雰囲気を楽しみながら、日蓮聖人の歩んだ鎌倉周辺をのんびり歴史散歩してみてはいかがだろう。
(※)天子、国王などに意見、事情などを申し上げること