日蓮宗メールマガジン3月号
「心を豊かに」
以前、新聞を読んでいた時、ある高齢者の方より投稿された「昔、物資が乏しくてお金も食べ物もなかなか手に入らなかった時、ご近所同士で少しの食糧を分け合ったりすることは日常茶飯事で、みんな助け合って暮らしていた。しかし今は、物が豊かになった分、街を歩いていても人のモラルや助け合いの心が無くなったと感じることが多くある。」という記事を目にしました。
もちろん現代においても、良好なご近所関係を築いている家庭もあるでしょうし、街に出ても優しい人はたくさんいます。ただ、この投稿者さんの気持ちに共感できる方も多いのではないでしょうか。20代の私には昔の生活のことはあまりわかりませんが、確かに私が子どもの時と比べてもご近所付き合いはめっきり減りましたし、都会などではゴミが散乱している場所に出くわすことも珍しくありません。貧しくても心豊かな生活をしていた昔と、物資に溢れ、その弊害で心の豊かさが薄れつつある現代。私たちは今一度、心の在り方を見直す必要があるのかもしれません。
お釈迦様は『雑宝蔵経』というお経の中で、財力を必要とせず、誰もが心掛け一つで行うことが出来る布施の修行として、「無財の七施」を説かれました。
それらは、
① 周りの人々に優しく思いやりのある目で接する眼施(げんせ)
② 和やかな顔や喜びの顔で人と接する和顔悦色施(わげんえつじきせ)
③ 乱暴な言葉を使わず柔らかで優しい言葉を掛ける言辞施(ごんじせ)
④ 自分の体を惜しまず、出来る限りの奉仕をする身施(しんせ)
⑤ 人の為に心を配り、思いやりの心で接する心施(しんせ)
⑥ 自分が座っている席を人に快く譲る床座施(しょうざせ)
⑦ 人を自分の家に温かく迎えたり、雨宿りの場所を提供する房舎施(ぼうじゃせ)
の七つです。
この「無財の七施」はお釈迦様の慈悲の心が全ての根底にあり、よく考えてみると子どもが人との触れ合いの中で一番初めに教わることと通じる部分があるように感じられます。しかし、現代の人々は大人になるにつれて、子どもの頃に教わった「人に親切にしよう」「人の為になる事をしよう」「困っている人がいたら助けよう」などといった思いやりの心を忘れかけているのかもしれません。
「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。」(日蓮聖人『崇峻天皇御書』より)暮らしが豊かになったのは良いことですが、それによって心の豊かさまで見失わぬように、「無財の七施」のどれかひとつでも、自分にできそうなものから実践してみてはいかがですか。お釈迦様の慈悲の光に照らされ、きっと相手も自分も温かい気持ちになれるはずです。
【お知らせ】
日蓮宗宗務院伝道部より、今月の予定をお知らせ致します。
8日 日頂上人会
16日 道善御房忌
18日 彼岸入り
21日 春季彼岸中日
24日 彼岸明け
26日 日昭上人会
28日 いのりの日