日蓮宗メールマガジン7月号
【今月の法話】
昨晩、雨が降ったのであろうか、露草がしっとり濡れている。
この時期の早朝は、雨雫をはじいた蜘蛛の巣の輪郭が美しく見えるものだ。
ここで獲物を捕らえられては困るもので、申し訳ないが失敬すると
つーっと、巣の主が糸を引きながら降りて行った。蜘蛛は糸を垂らすことはない。
「・・・やがて御釈迦様はその池のふちに御佇みなって、水の面を蔽っている蓮の葉の間から、
ふと下の容子を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当って居ますから、
水晶のような水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、
はっきりと見えるのでございます。・・・」
語り尽くされてきた芥川龍之介 作 『蜘蛛の糸』の一説。
蓮池の匂ってくるような美しい情景とその底で繰り広げられる地獄絵巻。
お釈迦さまが御身をそこに置かれ、同時に幾つもの世界を御覧になっていることを
今まで気付くことがなかった。
主人公 陀多(かんだた)は、生前の悪業三昧の中、道端の蜘蛛を殺さなかったということで、
お慈悲を頂く。しかし、己の傲慢さに命綱である蜘蛛の糸は切れてしまう。
お釈迦さまは、この光景を御覧になり、大変お心を痛まれたであろう。
ただ、蓮池の芳しい香に包まれているのではなく、私共の修羅のような感情をも
水面に汲み上げようとなさっているのである。
そして、もだえ苦しむ陀多が気付いたあの糸は、何万里と例えられた蓮池と地獄界との距離を、
戸を開ける一瞬にまで縮めてしまうのに・・・。
これは、物語の話だけではない。私共は目の前で起こる現実を解決することに精一杯で、
むしろ金色に輝く糸の存在自体にも気付かず、掴み損ねているかもしれないのだ。
もし、あの糸を掴んだ陀多が、皆と一緒に登ろうとしていたら糸は切れたであろうか。
ふと、我にかえる。明日も蜘蛛は糸をかけに来るであろうか。
伝道部からのお知らせ
今月の予定は・・・
13日~15日はお盆の為、休業致します。
暑い日が続きます。熱中症には十分注意してください。
水分・塩分をこまめに摂取し、日に当たり過ぎないように留意してください。
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