インタビュー
更新日時:2016/05/17
シリーズ「未来のお寺を考える」④
合掌とは「お互いに敬いの心をもつこと」
合掌の心を伝える事で安穏な社会づくりに寄与したい。
全国5,000以上の寺院をはじめ、8,000人以上の僧侶、関連教育機関、国際機関を擁する日蓮宗。その宗務総長で妙源寺(東京都葛飾区)住職でもある小林順光師に、これからのお寺・僧侶に求められるもの、そして現代社会のなかで、日蓮宗はどんな役割を担うのか、お話を伺ってきました。
(このインタビューは、4月13日に行われたものです。)
日蓮宗宗務総長
小林順光
■お寺・僧侶は一般社会からの信頼感を得なければならない
編集部)
まず現代社会のなかでお寺や僧侶を取り巻く環境について、小林宗務総長自身どのように見ていますか?
小林宗務総長)
日本は1970年代からの経済発展によって「一億総中流社会」などといわれて、豊かな社会を作り出してきましたが、一方では心をどんどん貧しくさせた側面があると思います。現代では物質的なものは向上したけれど、心の力と言いましょうか、人間の生きる力が失われてきているのではないでしょうか。そして仏教界では葬式離れ・墓離れ・寺離れが進んでいますね。
編集部)
その三離れの原因はどこにあると思いますか?
小林宗務総長)
その一つはお寺や僧侶に対する信頼感が薄れてきたというのも原因のではないでしょうか。昔はなにか問題があったら「お寺に相談しよう」「住職に意見を聞いてみよう」などと言われていました。しかし今ではいちいちお寺に相談することも少なくなってきましたね。
大乗仏教が根付く日本においては、僧侶は僧侶である以前に社会を構成する一員ですね。僧侶も地域を支える一市民として地域に関わるべき存在なのです。しかし、お寺を取り巻く環境の変化に対応しようと苦慮するあまり、地域あってのお寺という意識が薄れ家業としてのお寺になり、お寺と地域との溝ができてしまいました。そうしてお寺と地域の距離が生まれたことから、僧侶は寺院のことは把握しているが、地域や社会の事に疎いという状況が生まれています。こうした背景があって、以前のように相談事を僧侶に持っていくことも無くなりましたし、役割が不明確となり、信頼感や存在感が薄れていったのだと思います。
編集部)
いくら教えを伝えようとしても、信頼感がないと話を聞いていただくことも難しいですね。
小林宗務総長)
僧侶にとって人間的な向上は大切なことです。相手の痛みがわかることや、相手の心を察しながら物事を進めることができることは必要です。自分の心のなかに「相手を重んじる」「相手を慈しむ」ということを持っていてもらいたいと思います。
本宗でいうと、我々は日蓮聖人の信仰を継承して、修行に励むのはもちろんですが、社会のなかでどんなモノ・コトが求められているのかを考えて、人々の役に立つことが必要だと思います。日蓮宗の僧侶であるという自覚をどのように持つのかを自分で考え、そしてその上でどう行動をしていくのかが第一歩ですね。私が小僧をしていたときによく「『朝に希望、昼に努力、夕べに反省』1日がそうであるように、1年もそのように過ごし、常に精進していくことが僧侶だ」と言われました。これは今も私の心に残っています。簡単な言葉ではありますがなかなかこれを続けることが難しい。常に僧侶としての行動を考えて、精進をしていくことが人間的な向上につながるのだと思います。
■僧侶は世間から離れた存在ではなく、地域コミュニティーの一員という意識を持つべき
編集部)
社会貢献のような外に目を向けた活動もお寺では増えてきましたね。
小林宗務総長)
両親の共働きなどの理由で孤食をしている子どもたちに、あたたかい食事と団体で食事をする場を提供する「こども食堂」を今私は提案しています。この取り組みはもともと全国の自治体で広がっていて、他宗でも始めているところがあるほか、大田区では八百屋さんを中心に広がっています。お寺でもこうした活動を広げていくべきです。食の大切さは、すべてのモノにはいのちが宿っている、という事を知ることにつながります。動物の肉はいのちをイメージしやすいですが、野菜にもいのちがありますし、それ以外の食材にもいのちが宿り生きているのです。すべて残さずに食べて、自分の体の活力にしないと、その動物や植物に大変非礼ではないか、ということを子どもたちとディスカッションできるといいですね。それができると子どもたちは、いたずらにいのちを粗末にすることはないでしょう。
編集部)
それは素晴らしいですね。お寺が心の教育の場になっていくというのは、本来のお寺の役割でもありますね。そしてお寺の活動が増えていくと、お寺の魅力もアピールしやすくなります。
小林宗務総長)
5年後を考えると、おそらく車は自動運転、小学生の教科書はタブレットが標準となっているような時代です。こういう時代がきたときに、宗門としてもこれまでと同じかたちで進むのではいけません。例えばお寺ではコミュニティーについて、改めて考える必要があります。こういった話をお寺にすると「お彼岸やお盆に集まってもらっているよ」なんてよく言われます。しかしこれはコミュニティーではなくて宗教行事の一つなんですね。そうではなくて、檀家ではない地域住民など一般の方が普段から気軽に来られるようにすることが必要なんです。
例えば昨年私のお寺ではシルバー寺子屋という活動を始めました。これは地域のおじいさんやおばあさんなどが気楽に集まってお互いに会話ができる場です。
編集部)
具体的にどんなことをされているのでしょうか。
小林宗務総長)
シルバー寺子屋では希望が多いので写経をやっています。来られる方は一般の方も多いですね。ここでは信仰ではなくて、人間的なつながりをもつことを重視しています。こうしたイベントや行事で大切なのは、僧侶はお寺の人という立場ではなくて、その空間を作るコミュニティーの一員であるという感覚を持って参加することです。そうしないとどうしても上から目線の接し方になってしまいます。共同作業の一員という感覚で一緒になって行動していますよという態度でいると「この和尚さんは自分たちの意見を汲んでくれるんじゃないか」「自分たちと新しいことをしてくれるんじゃないか」と考えてくれるようになると思います。
編集部)
お寺の外の社会と関わりをもち、さらにそのコミュニティーの一員としての心構えを持つことは、僧侶としても成長につながる面もあるのでしょうか?
小林宗務総長)
外に出るというのは、社会の仕組みや、その社会がどのように動いているのかを知るということです。外から「僧侶はお寺のことしかわかっていない」なんて思われないようにしないといけません。例えば町の自治会ならその組織が世の中でどのような役割をもっているのかを理解していないで、偉そうなことは言えないですよね。だからそうした社会を見ることは大切です。
そして僧侶には人間的な成長とともに、仏教学もしっかりと修めてほしいですね。本宗の僧侶については、立正大学や身延山大学など宗門大学で学んだ上で、修行に入ってほしいと思っています。もちろんこれからの本宗寺院のお子さんは他大学にいく方も多いと思います。視野を広げるという意味ではそれも良いことですが、そこで学んだあと宗門大学でしっかりとした仏教学を身につけてほしいです。今後は今以上に超高齢化社会へと向かっていますが、それにともなって住職も高齢化し、引退せずに住職を続けられる方も増えます。すると若い20代の人は以前よりもしっかりと勉学に励み、修行をする時間を十分に取ることができるようになります。そうして仏教学を修得した裏付けがあって僧侶を務めることは、お寺に来る方からの信頼感につながります。
編集部)
例えば葬儀のお経もただ読むのではなくて、その意義をきちんと説明できると、遺族にとってはより安心感がありますね。
小林宗務総長)
昔は葬式仏教と揶揄されていましたが、大事なのは葬儀式をいたずらにするのではなくて、亡くなった方と残った遺族に心から寄り添うことです。残された遺族に、「ああこの方にお経をあげていただいたことで、成仏できる。ありがたい」と思ってもらえるような、人間的にも僧侶としても信頼感を持っていただけるよう徹底して葬儀などを執り行えると良いです。
■僧侶としての責務を次世代につなげる
編集部)
現在の日蓮宗では、平成33年には日蓮聖人御降誕800年を控えていて、さまざまな施策を行っています。今後日蓮宗は社会のなかでどのような役割を果たす存在になっていきたいとお考えでしょうか。
小林宗務総長)
日蓮宗では現在、「立正安国・お題目結縁運動」という宗門運動を展開しています。この活動は簡単にいえば、仏教の教えをもとに幸せな人を増やし、幸せな社会を築いていく、ということです。檀信徒から一般の市民の方まで、心を込めて行う合掌が広く社会に伝わるようにしていきたいです。「合掌といえば日蓮宗、日蓮宗といえば合掌」といわれるように、あらゆるいのちへの「敬いの心」や「慈悲の心」をもって、安穏な社会づくりや人づくりを実践していきます。仏様に手を合わせるということももちろんですが、ここでの合掌とは、普段の生活のなかでお会いする方々や出会うすべてのいのちにも合掌をするということです。そこには相手への尊敬や慈悲の心が表れています。そうした合掌が人々に広がり、すべての人が合掌をし合うことで、お互いに共感の心をもって接するようになってもらえたらと考えています。
あとは社会貢献活動として「日蓮宗あんのん基金」というものがあります。これは広く日蓮宗のお寺やそれ以外の方々から募金を集めて、それをもとにNGOやNPOなど国内外の各種社会貢献活動団体を支援する活動です。「安穏な社会づくり人づくり」という日蓮宗の活動の大きな柱でもあります。これからはこれをもう少し発展・充実させたいと思っています。
編集部)
社会へ数々の活動を展開されていますが、小林宗務総長として特に大切にしている活動などありますでしょうか。
小林宗務総長)
私が総長になってから力を入れているのは、戦没者や大震災などの追善供養、世界立正平和活動です。これらは僧侶が行うべきことだと思いますし、日蓮宗としては欠かせない責務だと思っています。これは今の若い世代にも伝えて、後世に伝えていきたいことです。
昨年は戦後70年でしたので、8月15日に千鳥ヶ淵戦没者墓園で戦没者追善供養と世界立正平和祈願法要を行ってきました。国会議員を始め約1,000人の方にご参加いただきました。そして8月21日には原爆投下から70年を迎えた広島でも、広島平和記念公園の原爆供養塔前で戦没者追善供養と世界立正平和祈願を行いました。核兵器への反対は長い間日蓮宗の祈りでもあります。
実はこの広島での追善供養の前日、我々はそろって原爆資料館に行きました。そして志賀賢治館長のご案内で展示物や資料を見学して、原爆被害の悲惨さや核兵器使用の反対について痛感しました。そのとき外国人の観光客もたくさんいたのですが一般の資料館に入るような感覚で、ざわざわとおしゃべりしながら入っていくんですね。それが一歩二歩と進んで1時間ほど見学して出るときには、どなたも私語は無い。呆然として肩を振るわせている女性もいらっしゃいました。私自身も涙を流し、言葉が出ないほどでした。そういったところには若い僧侶にはぜひ行ってもらい、なにかを感じ取ってほしいです。
編集部)
供養の意味を理解して次につなげる、ということも僧侶の社会的な役割ということですね。
小林宗務総長)
追善供養について、まず考えてほしいのは、先の大戦では軍人一般人合わせて約300万人もの方が大切ないのちを無くしているんですね。それらの方々はいのちをまっとうして旅立たれているのではありません。ただ1枚の紙で外国に行き、もしくは一つの核兵器が落ちて、突然いのちを失ったのです。「まっとうできなかったいのち」があるという事実を伝えることで、今の自分、日常を振り返る事に繋がります。また、今を大切に生きようと考えるきっかけになると思います。供養を通してお亡くなりになった方への慰霊をする、それと同時に次世代へ「今を大切に生きること」を伝えられたらと考え、供養を続けています。いくら供養を続けても、足りることではありません。それでも残された自分たちはやらなければいけない、やり続けなければならない。こういうことを若い人に伝え引き継いでいってもらいたいです。
編集部)
お寺は供養をする場所、というのは誰でも持っているイメージですが、その供養という行為は、亡くなった方のためだけではなく、生きている私たちへのメッセージも込められているのだ、という事を再確認しました。
ご先祖様の供養を通して、その「いのち」を受け継ぐ私たち一人一人が日常を振り返り、今を大切に生きようと考え直す場所がお寺なんですね。
小林宗務総長のように、自分の行いを意識し、「なんのために行うのか」を自覚していることが大切だと感じました。その自覚していることをご自身の言葉で説明できることが、関わる方々に信頼感を生み、お寺や僧侶の存在感へと繋がるのだと思います。
「朝に希望、昼に努力、夕べに反省」。
常に精進しながら前に進みたいと思います。
本日はありがとうございました。