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この人に聞きたい

インタビュー

更新日時:2016/03/11

シリーズ「未来のお寺を考える」③

震災から5年。今、人々の心を守る。
~岩手県釜石市・仙寿院 芝崎惠應(えのう)師~

岩手県釜石市。市街地を一望できる小高い丘にある仙寿院は、東日本大震災では津波を免れた。仙寿院住職の芝崎惠應(えのう)師は震災時、自身が被災しながらも、いち早くお寺を避難所として開放し、メディアでも取りあげられ注目を集めた。多くの被災者と悩みや不安を共有し彼らに寄り添ってきた芝崎師だが、震災からこれまでのつらい経験の影響でPTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断も受けている。多くの死に接したことと、メディアの取材が殺到したことから、震災時のことを思い出す機会が多く心と体に大きなダメージを負った。2014年にはPTSDに起因する心停止を起こして生死をさまよっている。そうした経験があっても芝崎師が今でも被災者の心を守る活動をしているのは、僧侶として当たり前のことであると話す。

岩手県釜石市・仙寿院住職
保護司
芝崎惠應(えのう)

 

■希望が見いだせない被災地の高齢者

編集部)
震災から5年となりますが、現在、中心となっているのはどんな活動でしょうか?

芝崎師)
今多くの時間を使っているのが、自殺を防ぐ活動です。現在被災者のなかで自殺を考える人がとても多い。なぜかというと大震災で大変な思いをしたからではなくて、復興が遅れているので希望が見いだせないからなんです。特に高齢者は、近い将来に希望が見えないと生きていけない。仮設住宅に引きこもる方が多いですね。

編集部)
自殺を考える人には、高齢の方が多いのですか?

芝崎師)
80代の方が多いですね。今被災者にとって復興・希望を妨げる一番の足かせになっているものはなんだと思いますか?それは東京オリンピックです。それによって被災地の復興は2年遅れています。建築資材が東京に集中しているんですよ。被災3県、復興に必要な建築資材などは必要量の3割しか来ていないといわれています。資材価格は震災前に比べると2倍近くに跳ね上がっている。それに建物を建てる職人さんの多くも東京に行っています。だから例えば2000万で建つ家が今は3700万円もかかっている。これが被災地の現状です。このお寺のとなりにアパートの工事現場がありますが、すべて復興住宅です。本来であれば今月入居できるものが2棟あるはずなのに1棟もありません。5カ月遅れですよ。あまりにも遅れがひどいので、市は損害賠償を請求するといっていますが、そうなると納入業者と裁判になります。裁判沙汰になればどういうことになるのかというと、工事が止まるのでもっと遅くなります。これが東京や東京電力がやったこと。いかに被災3県に迷惑をかけているのか。放射能も釜石市だって酷かったが、それを釜石市の我々は情報がなかったから知らなかった。当時は雪が降っていましたがそれは放射性物質を含む雪だった。水がないからその雪を溶かして水にして飲んでいたんですよ。それなのに瓦礫の受け入れは東京都が渋っていましたね。

編集部)
そういった状況が、被災地の高齢者の目には「まったく解決の目処がたっていない」と映り、暗闇になっていて希望を見いだせない、ということですね。

芝崎師)
ある50軒ほどしかない小さな地域があって、そこの半分くらいがうちの檀家なんですね。そこはすべて津波の被害にあったので、現在は誰も住んでいない。それで今20メートルくらい土地をかさ上げする工事をしています。本当は2月にその土地の引き渡しのはずだったのだけど、資材の遅れ、人手不足があって5カ月遅れることになりました。もともとは、もっと早くに引き渡されるはずが、その地域の方々は5年も待たされているんですね。遅れに遅れて、2月にやっと引き渡されるとなったら、さらに5カ月遅れる。そうしたら地区の代表から電話があって、「うちの母ちゃんや近所の人たちが、もう希望が見えないから、死にたいって言っている。仮設住宅から出たくないと言っている。なんとかしてくれないか」と連絡がありました。毎日仮設住宅に通いましたよ。だけど元気づけることもできません。だからとにかく愚痴を聞くことにしました。檀家ではない方の話も聞きます。それが今年1月、2月だけで百数十件の相談がありました。

編集部)
傾聴をして自殺を防ぐということが、今の活動の中心になっているのでしょうか。

芝崎師)
傾聴というのは相手が話してくれるから傾聴なんだよね。「死にたい」と言う人になると話さない。だから話をするところまでもっていくことが大変ですね。

編集部)
話をしてもらうために、なにか気をつけていることはあるのでしょうか。

芝崎師)
「希望がないということはわかります」なんて簡単には言えないですね。それに相手からの信頼がないと絶対話してくれません。だから私の体験を話すしかない。心臓が止まった話をします。心臓が止まるって意外と苦しくないんだよって。そうすると、相手は「えっ?」てなる。みんな死ぬのは苦しいと思っているでしょう。心臓が止まって意識がないとそのまま放っておけば死んじゃうよね。私は心臓が止まったけどあっという間で苦しくなかったよって。それで「死んでみる?」って聞いてみますよ。そうするみんな「まだ死にたくない」ってなりますね。そうしたら「そうでしょう。だったら生きること考えようよ」ってところから話を始めます。そこまできたら、相手は今こんなこと考えているとか、こんなことがあって希望が無くなったとかぽつりぽつり断片的に話すんですね。私は帰ってきてからその人たちが話したことを思い出して、こういう風に考えているんだなと話をつなげて、また会いに行きます。2回目に会うともう旧知の仲といった感じでわざと話していくんですね。相手からは来なくてもいいのに、なんて言われますが「そういうわけにはいかないよ。次会ったときに冷たくなっていたら寝覚めが悪いもんな」なんてわざと死ぬことを思い浮かべるように話す。そんなやりとりをしているうちに「死ぬと、自分以外の人に及ぼす影響が大きい」とわかるようになってくれて、最後には笑いながら「死なねえよ」なんて言ってくれる。そう言ってくるようになれば、だいたい引きこもりではなくなっていきます。
震災後から、ずっとこんなことをやってきました。自殺だけではなくて、いろいろな相談をされた方も合わせると、震災後からこれまでにざっと1000人くらいとは接してきていると思います。

■心を守るということが僧侶の役目

編集部)
市民の方からすると僧侶だから話やすいというのはあるのでしょうか。

芝崎師)
それは一概には言えないですね。全部の僧侶が当てはまるものではないです。話しやすいのは地元の坊さんだからでしょうね。そして私も被災をしたから話してくれるということもあると思います。
お寺を避難所として開放していたとき、家を流された人に避難所活動の手伝いをお願いしました。そういった方たちには、それこそよからぬことを考えてもらっては困るので、ぼーっとする時間を作りたくなかったんですね。「どうせ仕事なくて暇なんだから支援を手伝って」と憎まれ口のように言うと、わりと初めての方でも気軽に支援者に回れるんですね。同じ経験をしているから、自分が家流されたけど、ここだって大変だよなって思うんですね。
ある方は、ここに来たとき、奥さんと子どもが安否不明の状態でした。それでわざと支援物資を他の避難所に届けることを手伝ってもらったんです。最初は「ここだって避難所なのに」なんて話していましたが、ここには市からの支援物資が届くので、それを市が届けられない避難所にも運ぶために手伝ってもらったんですね。もっと困っている人もいるし、他の避難所を回れば奥さんや子どもも探せるでしょって、その人とトラック乗って回りました。3週間くらいでその方は、他の避難所に移ったんだけど、移る日の朝に「妻と子どもがみつかりました」って下向いて話してくれたんですね。良かったねって言ったけどそんな雰囲気じゃない。見つからない人が大勢いるなか、見つかったのは、不幸中の幸いとしか言いようがないよねって話しました。今はつらいだろうけど、奥さんと子どもさんのために生きていこうやって。そしたら「住職はもしかしたらわかってたんだな」「最初俺を手伝いに誘ったときからわかってたんだな」って言われました。あのときもし誘ってくれなかったら自分も後を追っていたかもしれないと。ああして手伝ったことで、もっと苦しんでいる人、もっと困っている人を目の当たりにしたから前向きに生きなきゃいけないと思ったそうです。「憎らしいことしたな」って言うから、怒ったのかなと思ったら、頭下げてありがとう、感謝しますって言ってくれました。その方は今も元気にしていますよ。
そういう心を守るということが私の役目。もう破裂寸前の心なんですよ、被災者は。その心を破裂させないように支えることが、私たちが今やっていることかな。それは多分被災地以外のところではわからないと思いますよ。被災地で共に生活していないとわからない。報道なんかで被災地はつらいっていわれるけど、本当のところはわからないと思う。パンク寸前なんだよって。希望が無くなると人間って、こんなになっちゃうのかなってくらいもろいものですよ。いかに希望があって人間が生きているかがわかります。家族が生きていれば、家族に希望を見いだし、地域があれば、仕事があれば、そこに希望を見いだすことができる。その希望を無くさないようにするのが僧侶や、宗教の本来目的じゃないかなと思います。だから簡単に傾聴活動とか言って、他の地域から坊さんに来てほしくない。3、4日来てなにがわかるのか。ボランティアで来たお坊さんは2泊3泊くらいでやってきて、被災地の大変な気分だけ味わって帰って、被災地はああだよこうだって偉そうに話している。本当のところなんてあなた達にわからないでしょう。

編集部)
そういった経験があったのでしょうか。

芝崎師)
震災時にいろんなボランティアの人たちが来ましたが、いい格好してきたのは僧侶だけでした。このお寺では一時、576人収容して、そのうち外には約170人いました。その人たちの面倒を151日間ずっと見続けてきました。ライフラインは全部無い、水も無い、食料も無い、そういうなかで暮らしているから、当然お風呂なんか入れないよね。そこに金のチャラチャラしたのを付けて革靴で「なんかできるかと思って来ました」ってほかの地域から僧侶が来る。だからすぐに帰れといってみんな帰しましたよ。被災者の姿見てわからないのかって。その姿が場違いだとあんたら思わないのかって。僧侶だったら、まず自分の身なりを考えろって怒鳴りつけて帰しました。
ある方々が炊き出しで来てくれたときは、ライフラインが止まっているのに、水は持ってこない、肉を持ってきて冷蔵庫は無いんですかときた。代表の一番年配の僧侶には
「あなたが何を作れるかで考えるな。被災者が何を必要としているかで考えろ。高飛車なモノの考え方で来たって誰も喜ばない。だけど、どんなに喜ばなくても施しを受けた被災者は、遠くから来たと思えばありがとうって言う、まずいもの食ってもおいしいですって言うよ。それであんたらは満足して帰るかもしれないけど、被災者の気持ちになって一度でも考えたことがあるのか」
と説教しました。
坊さんだったら相手のことを考えるのが当たり前で、「自分がこういうことができる」って考え方は間違っているって。私よりも年上の人だったけどね。その年配の僧侶は外に出て行き、残った若い僧侶からは「地元ではあの人にあんなことを言う人はいない」と聞きました。だから思い上がるんですね。
それからその年配の僧侶は1時間くらいしてから戻ってきました。本堂に行って、ずっと被災者のことを見ていたそうです。それで体を温める食事をどうしても出したいと思って、そこから夜中に仕込みをして、次の日の朝にふろふき大根を五百何十人分作ってくれたんですね。みんなは温かくてうれしいと言ってくれました。そのなかであるお年寄りが「あーこんなにおいしい大根は久しぶりに食べた。本当においしかった」ってにこって笑いながら器を返しにきてくれたそうです。その瞬間に年配の僧侶は、なぜか突然涙が止まらなくなったって話していました。

編集部)
相手と同じ目線になって、はじめて気づく状況がそこにあったのですね。

芝崎師)
人のためにするということはそういうことです。我々は強制的に被災者になってしまって、そういうことがわかったけども、来てくれる人にはわかった上で来てほしい。自分のやることをひけらかす人には来てほしくないですね。みんなどん底なんです。着替えも無い、風呂も無い、帰る所も無い、何もない、これから先どうしていくかもわからない、そんななかにいる人に上から目線で来るのは僧侶としてあるまじき行いですね。
しかし残念ながらそれをわからない僧侶が今だに多い。僧侶はこういうことを最初にわかるべきですよね。人に対する思いやりとか、人のことを考えることを生業としているわけですから、そういう僧侶こそ、最初に相手の立場にたって、言葉だけでなく本当に理解する姿勢が大切です。それが宗派を問わず、現代の僧侶には欠けているのではないでしょうか。

■お寺に必要な覚悟

編集部)
僧侶の在り方の話になりましたが、他にも現代の僧侶に必要なことはなんだと思いますか。なにかお考えがあればお願いします。

芝崎師)
坊さんとして社会を見るなと言いたい。社会人として社会をみるべきです。坊さんの立場からしか社会を見ないというのは不十分です。同じ社会に生きている一般市民(=社会人)として、世の中をみて判断をしなければいけないと思います。津波で無垢の子どもたちが目の前で流されていく、そのような場面を目の当たりにすると、仏の教えが一体なんの役にたつのだろうか、と疑問が生まれました。
しかし、後々考えると、仏様の教えの一つ「給仕第一(きゅうじだいいち)」という言葉があり、日頃から実践していたからこそ、避難してきた人に平気で支援ができたなと感じました。
事あるごとに法華経の教えがこうであるから、被災者に対してはこうすればいいんだなと、学ぶ事が多くあり、仏様の教えに何一つ無駄なものはなく、活かせないものはない、と理解出来ました。
その教えを活かす為にも、僧侶は視野を広げた活動をするべきではないですか。視野が広くなければ、その教えは役に立たないものになってしまいます。
被災直後から、うちの寺は門を開放するどころかすべて開放していました。善人だけが集まるわけではなく、実際に私の場合は家族の下着まで全部盗られました。濡れている人たちへ着る物を渡していたら、誰かがそれを見ていて、ふと気づいたら自分たちの着替えまで盗られていたんです。それでも私たちは支援者なので支援物資はもらえなかった。でも例えそのような状況であっても、お寺である以上、門を開放するべきだ。そういう覚悟がないのだったらお寺になんかいないほうがいい。お寺にいるということはそういう覚悟をするべきです。自分たちのことを守るために門を閉ざすのは愚の骨頂です。

編集部)
ご住職は自身も被災され大変厳しい状況の中、なぜお寺に踏み止まり活動する事が出来たのでしょうか。

芝崎師)
何の罪もない子どもは流され、家族は散り散りになるという現状を目の当たりにしていると、当時は私も「神も仏もない」と本気で感じていました。
その事を娘に話した時、娘はこう答えてきたんです。
「お父さん。私はそうは思わないよ。毎日、仏様にご飯やお水をお供えして手を合わせていたから、大勢の被災者がお寺にきた時も、普段と変わらずにお世話する事が出来たんだと思う」
この言葉を聞いて、恥ずかしながら大切な事を気づかされました。
私たちは日頃から本堂や仏壇で仏様へ手を合わせ「心を調える」という事を大切にしています。
忙しない時や何か不安を抱えている時こそ、仏様の前で手を合わせ、心を落ち着かせてから日常に戻る、という習慣をもっています。
娘はこの行動を大切にして日頃から実践していたから、大変な時も落ち着いて対応してくれたのだと思います。
娘だけでなく、被災者の方でも本堂や家の仏壇に手を合わせ、日頃から「心を調える」という習慣を大切にされる方は「心の切り替え」がしっかり出来ていたなと思います。
とても大変な目にあった時にも、ザワつきや不安な気持ちを落ち着かせ「さぁ今やれる事をやろう」と前向きに歩みを進めていたと思います。
これは一朝一夕で培われるものではないですね。
日常の中で「心を調える」という行動を少しずつ習慣化する事が大切です。

編集部)
大事が起きたら、僧侶こそ一番に動くべきですね。

芝崎師)
なにか大災害があったら、率先して寺が受け入れるという考え方を持たない僧侶は、僧侶の価値はないと思います。歴史をひもといてみても、飢饉でも大災害でも昔のお坊さんは先頭に立ってがんばっていました。そうしたことを昔から学ぶべきです。よく私は新しいことをやっていると言われるけども違います。本来お寺がやるべきことをやっているんですよ。新しいことは何一つないんです。お寺の安穏だけを考え続けてきてしまったことが、現代になって、社会からお寺が孤立している原因ではないでしょうか。今こうして門を開いていると、お檀家さんになる訳でもないけども、やたら人はきますよ。震災後から、津波からの避難行動の啓発を兼ねたお祭り「韋駄天競争」というイベントを開催しているけども、年々来る人が増えていて、今年は走った人だけでも130人、観覧者も合わせると1000人もの人が訪れています。

編集部)
住職のお人柄に加えて、そのような地域イベントなどで、「お寺に誰でも来ていいよ」という環境を積極的に作っているからそれだけの人が集まるのでしょうね。

芝崎師)
津波を見たときに、最初はどうしたらいいのか、どう考えたらよいのか、わからなかったです。目の前でただ手を振りながら流されていく人、車のなかで窓に顔をつけながらそのまま流されていく人、そうして死んでいく人をだまって見ていることしかできない。震災の翌日の朝、取り残された人を助けにいくと、門の横に瓦礫と一緒に流れ着いていた中学生の女の子の遺体がありました。その近くには小さな赤ん坊も。こんな子たちでも簡単に死んでしまう。そういう状況のなかで普通の人なら、理論的にこうすればいいなんて考えられないですよね。それでもお寺であって、人が逃げてきたのなら、やらなければいけない。やるしかない。そこまでの災害でなくても大勢困っている人がいて、水も出さずに門を閉じた都会のお寺は、寺としてあるまじき行いだと思う。それも坊さんの視野の狭さが原因なんじゃないでしょうか。だからお寺のお坊さんではなく、同じ社会で生きる社会人として世の中を見なければいけない。普段からボランティア活動でも町内活動でもなんでもいいから、みずからお寺から外にでて、市民とともにいろいろやるべきです。そうしないと社会なんて見えてこないですよ。僧侶である前に社会に生きる一人として普段からも活動するべきです。

■未来のお寺のかたち

編集部)
お話を聞いていると、本来あるべき姿に戻っていく、ということが未来のお寺のかたちではないかと感じました。僧侶は外にでて社会を見る目を養って、困っている人を受け入れるということでしょうか。

芝崎師)
本来あるべき姿が未来の姿です。そして、お寺が本来の姿になるには、横のネットワークがないといけません。お寺のお坊さんは、一人でなんでもできるわけではありませんから、なにか困ったことがあったら、他のお坊さんと連携してほしい。必ず何かに秀でた方がいる。宗派が異なっても、それに地域の人でも、同じ共通の課題意識を持っていたら、そこと連携してもいいですね。必ず何かに秀でた人がいますから。そうやって社会人として、他の僧侶や地域の人たちとネットワークをこれからは作って、お寺が本来あるべき姿にもどっていかないといけません。

編集部)
時代の転換期に未来のあるべき姿を模索するとき、まずは原点に立ち返り、本来の役割を問い直す。その立ち位置から社会に視野を広げ、人々の求めと本来の役割から導き出されるモノが答えなのだと感じました。
ご住職の言葉の端々から僧侶の役割、お寺の役割を常に意識されているという事が明確に受け取れます。
その役割を自覚されているからこそ、宗派や職種を超え共通の課題に対して協力して活動する事ができるのだろうと思います。
未来のお寺とは、僧侶が原点に立ち戻り、本来の役割を問い直す事から始まる、という
考えれば至極当然の事ですが、その当たり前に気づく事が未来の形に近づくために必要な事だと教えて頂きました。本日はありがとうございました。

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