インタビュー
更新日時:2016/03/07
シリーズ「未来のお寺を考える」②
文部省在籍時代から生涯学習の普及に携わってきた福留強氏。これまでの生き方を見直し、地域のために自らの力を発揮しながら、 創造的に生きる大人(中高年)を「創年」と名付け、地域での創年活動の展開や、地域資源を活かしたまちづくり支援を行ってきた。地域課題解決とコミュニティー作りに尽力してきた福留氏は、地域のなかのお寺という場所がこれからのまちづくりの拠点に成り得ると話す。今回は福留氏に未来のお寺のかたちをお聞きした。
福留強
聖徳大学名誉教授 事業構想大学院大学客員教授
NPO法人全国生涯学習まちづくり協会理事長
全国生涯学習市町村協議会代表世話人
内閣府地域活性化伝道師
国立社会教育研修所教務課長、文部省社会教育官などを歴任。全国生涯学習フェスティバルの実施や全国生涯学習まちづくり研究会の結成など、生涯 学習まちづくりブームの仕掛け人として知られる。講演を含めまちづくり関与した市町村は約1,000。自治体の生涯学習推進や地域の活性化方策などで全国 的に大きな影響を与えている。
著書として、『市民が主役のまちづくり』(全日本社会教育連合 会)、『生涯学習まちづくりの方法』(日常出版)、『子ほめ条例のまちは変わるのか』(イザラ書房)、『創年のススメ』(ぎょうせい)、『もてなしの習 慣~みんなで観光まちづくり』(悠雲舎)、まちの知恵シリーズ『助け助けられるコミュニティ~立川市大山自治会の発明~』(以下、悠光堂)、『生きがいと まちづくりの起爆剤は創年市民大学~鹿児島県志布志の挑戦~』、『生涯教育のまち宣言変える』(東京創作出版)『おもてなしの力』(悠雲舎)など多数。
■地域には生涯学習センターよりも前にお寺があった
編集部)
先生は地域のコミュニティー作りを数多く手掛けてこられてきました。そうした経験のなかお寺という場所が地域のなかでどんな存在になりうるか、先生にその可能性を伺いたいと思います。まずは「お寺」について、ご自身としてなにか思うことはありますか?
福留先生)
ぼくは鹿児島の生まれなんだけど、小さい頃おばあちゃんに連れられて、何度かお寺に行った想い出がありますね。日本の原風景やふるさとの風景といって思い浮かぶものは、小学校、郵便局、駄菓子屋、風呂屋そして、お寺だと思います。今はそのどれもが少なくなっていて、お寺はなくなるわけではないんだけど、そんなお寺とは関係性がなくなっている子どもが圧倒的に多いなと感じることがあります。
編集部)
お寺で遊ぶとか、お寺に行ってなにかをするということを、現代の子どもはあまりしないようですね。
福留先生)
全国にお寺はコンビニの数よりもあると言われています。そうしたお寺はこれまで、生活のなかに溶け込んでいて、子どもはお寺で遊ぶということも普通でしたし、ボーイスカウトをお寺でやるところが多かったですね。地域のなかで子どもは自然とお寺と接点をもっていたものです。そのお寺は精神的な拠り所でもあって、生活相談センターでもあって、学習センターでもあったわけです。地域には生涯学習センターよりも前にお寺がありました。
編集部)
先生のお考えではお寺は古来「生涯学習」の機能もあったということですね。そもそも生涯学習とはどんなものなのでしょうか?
福留先生)
多くの人は学校を出て、学校で得たものを持って世にでるわけですが、昔は良い学校であればあるほど良い企業などの働き口に行けました。つまり学歴社会ですね。だからみんなが競争して学校に入ったわけです。これはこれで悪い話ではないけども、今は情報が刻々と変わるので、学校で得た情報もすぐに古くなってしまいます。みんな試験が終わればそれ以上は学習しません。勉強や学習にうんざりして学校を出ていくのが日本の教育なわけです。
学校で学ぶのは6歳から18歳や22歳。それだけの学びで人間の価値を決めてしまうのがこれまでの学歴社会でした。それはやはりおかしい。30歳、40歳、50歳、そこから身を立てる人もいるんです。生涯学習というのは社会に出て、学び続けるということです。時代は変わっていくので学校だけでは学べないものがあります。今のパソコンやスマートフォンなどは20年前にはなかったわけで、60歳70歳で使える人は少ない。だからいろいろなものを学び続ける生涯学習が必要なわけです。
世間では生涯学習は終わったと言う人がいますがそれは間違っています。生涯学習というのは学校教育、家庭教育、キャリア教育その他の教育を合わせたもの。教育全般が生涯教育なんです。ただ生涯教育というと多くの人が一生涯教育されるものだと勘違いしてしまうので、自ら学ぶという意味も込めて、国としても生涯学習と言うことにしたのです。そうすると学校にはどんな役割があるのかというと、「学ぶことを好きにする」。この一言に尽きます。自主的に学ぶわけで、学び方を身につけるということが大切になります。
■まちづくりとはより良い人間を育てる人づくり
編集部)
現在先生はNPO法人全国生涯学習まちづくり協会の理事長を務められています。生涯学習とまちづくりが一緒になっているのは生涯学習がまちづくりに活かせるということでしょうか?
福留先生)
今まで「まちづくり」というと都市計画だとか道路をどう作るかなどのハードを重視していました。しかし今はソフトが大切です。良いまちを作るために自治体がやらなければならないことはなんでしょうか?それは住む人の人間性豊かにすることです。そのための条件整備として道路を作ったり水道を作ったりゴミ処理をしたり、と生活環境整備をします。
九州の知覧という街には、清流溝が歩道と車道の間にあって街じゅうで鯉が泳いでいます。これを他のまちでやったらごみが捨てられたり、鯉もすぐいなくなってしまうでしょう。でもこのまちはそうはならない。知覧では、まちの人は観光客にあいさつはするし、丁寧な対応をします。なぜかといえばその街では、昔から家庭教育・学校教育など生涯教育を長い時間かけてそういうまちの風土を作ったんです。こうなるには、基本的に市民が学習をしなければいけません。子どもの時期からものを大切にする、まちを美しくする、あいさつをする、外からの人を迎えるなど、人として肝心なことを生涯学習で育てます。まちづくりとはより良い人間を育てる人づくりでもあります。そして人はそれを見に行くわけです。これが観光地ですね。
編集部)
観光という話がでましたが、外から来る人の目もそのまちづくりにも活かされているようですね。
福留先生)
九州に嘉例川駅という有名な駅があります。ここは昔、1日の乗客が1〜2人と言われた小さな無人駅でしたが、今では観光客が来るようになりました。なんの変哲もない駅でしたが、地域の方がなんとかしようとしたんですね。調べていくうちに駅舎が鹿児島県内の木造の駅で一番古く(大隈横川駅舎と並ぶ)、九州でも一番古いことがわかり、それをアピールするようになりました。そこからいろいろなプロジェクトが始まって、そのなかで作られた駅弁は、九州の駅弁ランキングで2006年度から3年連続第1位になりましたね。
注目されるようになって、地域の方が自分たちの町に誇りを持つようになると、外からの目もまた変わります。そうしてまちは変わっていくのです。嘉例川では「地域の人が地域のことを調べよう」という生涯学習が地域の力を高めました。地域を大切にしよう、来る人に丁寧に接しよう、そうしたことを昔はお寺のような場所が教えてくれていたと思います。お寺は日常生活のなかで人として大事な心を育ててくれましたが、今ではそれが少なくなくなったのではないでしょうか。
編集部)
まず自分のまちの良いところに気づく場があって、それによって地域の人の意識が変わり、まちの良いところをアピールする。すると外の人からの注目が集まり、地域の人の意識がまた変わっていくという良い循環がまちづくりということですね。これは良い人間性を持った人が増えて、みんながより良い生活をしていくことを願うお寺や仏教の考えと重なります。
福留先生)
生涯学習というのは学び合うということです。学び合うとは相手を尊ぶということにもつながります。生涯学習の最終目標は一人一人が人間的に育つこと、そして良き人間性を持つこと。それがなせれば、結果的にそのまちが良いまちになるんです。
■中高年が多いまちは「宝のまち」
編集部)
地域にはいろんな方がいらっしゃいますが、先生は創造的に生きる大人(中高年)を創年と名付けて、彼らの活動をサポートしていますね。
福留先生)
自分をリセットしようと考えたときを創年と呼ぶようにしたんです。女性でいえば47、48歳くらいでしょうか、子育ても落ち着いて、これからなにをしようかと考える時期ですね。そうした創年世代が自分の力をまちに使い、活躍してもらおうと考えたんです。いろいろな活動のなか、創年市民大学なんていうのもあります。鹿児島・志布志では公民館で開校していて、生徒たちが焼酎づくりまで行って商品化させました。創年世代の活動が実際の経済活動にまでつながった例です。多くの市民大学では何人も受講をしているのに、参加者同士なにをしている人なのかわからない場合も多いです。しかしこの志布志の市民大学ではグループになってそれぞれ活動をしていて結束も固い。あんなに笑いのある市民大学も珍しいと思います。ここでは修学旅行もあるし、大学院まであって、延べ8年間通っている人もいますね。
編集部)
ご高齢の方が増えているほか、過疎化も進んでいて、深刻な状況になっている地域も多いと聞きます。そうしたまちで創年世代が活発になると地域も活性化しますね。
福留先生)
これまで65歳以上は生産人口と呼ばれませんでしたね。65歳以上の中高年が多いまちは過疎と呼ばれています。しかしそこに元気な創年世代がいるとまちは変わります。中高年はこれまでに得た知恵があるんです。そういう見方をすると中高年の多いまちは「宝のまち」と言えますね。
■お寺は歴史を語り、地域との接点を持つべき
編集部)
お寺は全国にくまなくあって、過疎の町にも必ずあります。地域からもある程度信頼されている場であるお寺は、そうした創年活動やまちづくり活動にもうまく使えそうです。
福留先生)
お寺から生まれる新しいまちも見てみたいですね。お寺という場を使って創年のまちを作ってもいいと思います。なんにしてもお寺はもっと住民との接点を持たないといけませんね。地域とのつながりを持てていないといえば、今の創年世代で60〜65歳くらいの男性が地域から浮いています。彼らはそれまで、仕事をしていたため地域とのつながりを持てなかったからです。経験もあり意欲もあるがまちで出番がない。お寺はそんな彼らに役割を作れるんじゃないですか。
今地域の人はお寺を敬っていないわけではないが、お寺は別のものと思っているふしがあります。距離があり過ぎる。これからはお寺も創年世代も地域との関わりをもっと作らないといけません。
編集部)
そうですね多くのお寺では供養ということでしか外との接点がないようです。住民との付き合い方がわからないところもあります。
福留先生)
お寺でなにか事業のようなことができると良いと思います。地域の創年世代を集めて、仏教の話や写経、仏像の話でもいい。そういったことに彼らは興味があると思います。創年の活動のなかで、各地に「創年のたまり場」を作ろうということを今しています。それは喫茶店などを創年たちが集える場にしようというものですが、お寺はまさにそのたまり場にもなり得るのではないでしょうか。そもそもお寺にはそういう機能が昔からありましたね。地域の子どもや大人が自然と集まっていた。それが今は薄れています。みんながお寺に集まれる理由をなんらか作れば人は集まってきます。
編集部)
未来のお寺はやはり、そうした地域の人々の生涯学習の場であり、まちづくりの拠点としても求められるということですね。
福留先生)
お寺には歴史があり、謂われもあって、そうした物語を語れるはずです。地域の人にとってそのお寺の歴史を知るということは、まちの風土を知ることになります。お寺はそうした物語をもっと発信するべきです。地元の人でも知らないものは結構あるもので、それがまちの魅力になったりします。しかし今それを語れる人がいない。語れる人がいなければその歴史は消えていくことになります。
社会教育法第23条で利用の仕方が決められている公民館よりもお寺のほうができることは多いのかもしれません。利用の仕方は自由ですからね。そういうお寺で地域の歴史を語り、いろんな人の学びをサポートして人々をつなげる。そうして人の輪を広げていくことがこれからのお寺に求められます。
編集部)
本日は貴重なお話ありがとうございました。