ざっくり納得法華経のすべて

第19章

六根清浄の功徳

法師功徳品

【ほっしくどくほん】

“自我偈(じがげ)”を中心としたお釈迦さまの教えを聞いて、こころからすなおに喜ぶこと、この“随喜(ずいき)”のこころの重要性、その功徳の大きさを、第17章分別功徳品(ふんべつくどくほん)および前18章随喜功徳品で、お釈迦さまは繰り返し強調されてきました。

では、喜びのこころをもってすなおに信じ、その教えを実践していくと、いったいどのような功徳があるのでしょうか。随喜した者の功徳が具体的にどのようにあらわれるのか、その功徳の姿について説かれていく、これが第19章法師功徳品です。

ここでいう「法師」とは、第10章法師品と同じく、法華経の教えを受持(じゅじ)する者で、そこに出家・在家の区別はありません。私たちみながそこに含まれています。

法華経の受持によって得られる功徳~六根清浄(ろっこんしょうじょう)~

「この法華経を受持し、あるいは読み、誦(じゅ)し、解説(げせつ)し、書写(しょしゃ)したならば、この人は、八百の眼(まなこ)の功徳、千二百の耳(みみ)の功徳、八百の鼻(はな)の功徳、千二百の舌(した)の功徳、八百の身(み)の功徳、千二百の意(こころ)の功徳を得、この功徳によって六根*1を荘厳(しょうごん)し、みな清浄となるでしょう。」

お釈迦さまの常精進(じょうしょうじん)菩薩に対する、この言葉からこの章は始まり、五種法師(ごしゅほっし)により獲得される功徳について、その具体例が説かれていきます。

1 眼の功徳
八百の功徳を具(そな)え、清浄(しょうじょう)な眼となって、全宇宙全世界と、そこにいる衆生を見、衆生たちの行い〈業〉とその結果〈報い〉を見通し知ることができる

2 耳の功徳
千二百の功徳を具え、清浄な耳となって、全宇宙全世界のあらゆる音声を聞き分けることができる

3 鼻の功徳
八百の功徳を具え、清浄な鼻となって、全宇宙全世界のあらゆる香りをかぎ分けることができる

4 舌の功徳
千二百の功徳を具え、清浄な舌となって、あらゆる味を甘露のように美味なものに変え、演説すればすばらしい音声を出して、人々を歓喜させる

5 身の功徳
八百の功徳を具え、瑠璃のように清浄な身体となり、鏡のようにその清らかな身にあらゆる人々の姿や仏菩薩の説法する姿などが写し出される

6 意の功徳
千二百の功徳を具え、清浄なこころにより、あらゆる教えを深く体得し、思うこと・語ることすべてが仏の教えとなる

このように、法華経を受持することによって、眼・耳・鼻・舌・身体・意には、あわせて六千の功徳が具わり、この肉身の六根がそのまますべて清浄となって、大きな力を発揮することが詳しく説き示されています。

仏としての振る舞い
心と身体が清浄となるということは、その人の生活が清浄となるということであり、その人が生活する場所も清浄となっていきます。この清浄な生活こそが、仏としての生活であり、その人の住むところは浄土(じょうど)〈仏国土(ぶっこくど)〉となります。

お釈迦さまは、意の功徳を説かれる中で、「皆(みな)実相と相(あ)い違背せじ」とおっしゃっています。天台大師は、この一節をうけて、「一切世間の治生産業(ちしょうさんごう)は皆実相と相い違背せず」と説かれました*2。

このお釈迦さまの言葉は、日蓮聖人も注目されているところで、たとえば四条金吾(しじょうきんご)氏ヘ宛てられたお手紙の中では、次のように教え諭されています。

「各々の御身の事はこれより申しはからうべし。さでをはするこそ、法華経を十二時(じゅうにとき)に行(ぎょう)ぜさせ給ふにては候らめ。あなかしこあなかしこ。御みやづかい〈仕官〉を法華経とをぼしめせ。「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」とはこれなり。かへすがへす御文の心こそをもいやられ候へ。」*3

主君にお仕えする身分の武士である四条金吾氏。その四条氏に対して、主君にお仕えすることこそが、法華経を受持・実践していることになると、日常生活と法華経の教えとは、異なるものではないことを示されています。

法華経の信仰を持ち、社会において自らに与えられた仕事・使命を一心に果たしていくことが、そのまま法華経の教えであり、このこころをもって日常生活を送っていくことが、常に〈十二時=二十四時間〉法華経を受持・実践していることとなります。

日常の生活を離れて成仏や覚りがあるのではなく、日々の生活の中にこそ、法華経の極意があらわれるものであります。法華経・お題目の功徳をいただき、常に久遠のお釈迦さま、日蓮聖人とこころを一つにして、仏としての振る舞いをしていくこと、それこそが、私たちが今すぐ仏となるということであり、久遠のお釈迦さまがいつもいつも願っている切実な悲願なのであります。

 

注釈

*1 「六根(ろっこん)」とは、眼・耳・鼻・舌・身・意(げん・に・び・ぜつ・しん・い)の六つの感覚器官を指します。これを心(こころ)と身(からだ)の二つに分けると、「意」が心、「眼・耳・鼻・舌・身」が身となります。

*2 『智慧亡国御書(ちえぼうこくごしょ)』昭和定本日蓮聖人遺文1130頁

*3 『檀越某御返事(だんのつぼうごへんじ)』昭和定本日蓮聖人遺文1493頁

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