ざっくり納得法華経のすべて

第11章

誓願を立てよ!

見宝塔品

【けんほうとうほん】

先の第10章法師品において、お釈迦さま滅後、末法の衆生救済の大事業が幕を開けるや、突如として、七宝荘厳(しっぽうしょうごん)の大宝塔が地より涌(わ)き出で、虚空(こくう)に浮かびあがりました*1。

塔からは大音声があって、「お釈迦さまが説かれたこの法華経の教えは、みな真実である」との証明がなされます。

全く誰も予想していなかった出来事に、喜びや驚きと疑いの心をもつ大衆。この大衆に対して、お釈迦さまは、はるか過去に入滅された多宝(たほう)如来が宝塔とともに出現するわけを説かれ、全宇宙すべての仏が総動員して繰り広げられる大事業が展開していきます。

お釈迦さま、多宝如来、そしてあらゆる諸仏の本願が明かされ、お釈迦さまの滅後に法華経を弘める者を強く勧慕する。第10章法師品と同様、末法の衆生救済の大事業の起点となるのが、この第11章見宝塔品です。

多宝如来の誓願
いかなるところであっても法華経が説かれる場所に自ら現れ、その教えを聞き、証明し、ほめ讃えんとの大誓願を立て、その誓いの通り、今この法華経説法の場に出現された多宝如来。一会の大衆は、宝塔の中にましますそのお姿を拝見したいと願い出ます。

ここに、塔を開き、姿を見せるには、十方の世界*2に身を分けて衆生救済にあたっているお釈迦さまの分身(ふんじん)の仏を集めて欲しいという、多宝如来の深重の願が示されます。

多宝如来の本願とみなの求めに応じて、お釈迦さまは、自らの分身の諸仏をすべてこのところに集めて塔を開き、宝塔の中に入って多宝如来と並び坐られました。

三仏(さんぶつ)の来集
こうして、“三仏”と称される、お釈迦さま、多宝如来、そしてお釈迦さまの分身の諸仏が一同に会することとなりました。

この三仏の来集について、日蓮聖人は、遠く末法の時代をめがけて法華経を弘め、未来のすべての仏の子に、無上の大功徳をお与えになろうとする三仏のお心を認められています。

「それ法華経の宝塔品を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏の来集はなに心ぞ、令法久住 故来至此(りょうぼうくじゅう こらいしし)等云云。三仏の未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子にあたえんとおぼしめす御心(みこころ)の中をすいするに…」*3

お釈迦さまが自身の身を分けて十方の世界において法を説かれるのも、この大きな慈悲の心によるものでありましたが、その中でも、この慈愛の心は、特に最も重い病に苦しむ末法の衆生に対して注がれていきます。

このようなひときわ厳しく濁った末法の時代における我が愛子を救うことは、最もすぐれた法華経の教えでなければ叶いません。ここに、この法華経の教えをお釈迦さまの滅後、いつまでも永く弘め伝えていく使命を担う者の存在が、極めて重要になってくるのです。

誓願を立てよ~「三箇の勅宣(さんかのちょくせん)」~
この大慈悲の心から、お釈迦さまは、大音声で宣言をされます。

「誰か能(よ)くこの娑婆国土(しゃばこくど)において広く妙法華経を説かん。今正(まさ)しくこれ時なり。如来久しからずして当(まさ)に涅槃に入(い)るべし。仏、この妙法華経を以(もっ)て付嘱(ふぞく)して在ることあらしめんと欲す」

「諸(もろもろ)の大衆に告ぐ 我が滅度の後に 誰か能く この経を護持し読誦せん 今仏前において 自(みづか)ら誓言(せいごん)を説け」

「諸の善男子(ぜんなんし) 各(おのおの)諦(あきら)かに思惟(しゆい)せよ これはこれ難事(なんじ)なり 宜(よろ)しく大願を発(おこ)すべし」

「付嘱(付属)」とは、法華経の教えをお釈迦さま滅後、お釈迦さまに代わって弘め、衆生を救っていく使命を弟子たちに託すことを意味しています。間もなく涅槃に入られるお釈迦さまが、この私たちの住む娑婆世界において法華経を弘めていく者はいないか、忍難弘通の誓願を立てよと、三度重ねて勧め命じられているのです。

日蓮聖人はこの三度にわたる要請を「三箇の勅宣」*4と表現し、お釈迦さまが自身に対して発せられた勅命であると受け止められたのでした*5。

此経難持(しきょうなんじ)
しかし、先の法師品においても、またここにおいても「これはこれ難事なり」と述べられ、「六難九易(ろくなんくい)」*6にも象徴されるように、滅後、特に末法という時代に法華経を弘め実践していくことが、いかに難しいことであるか。

それゆえに、日蓮宗でもよく読まれる「此経難持」と始まる宝塔偈の末文において、「此の経は持ち難し」という覚悟をもち、大誓願を立て、「令法久住」という三仏の本願を実現せよと、懇ろに激励、讃歎して、この宝塔品が結ばれています。

 

注釈

*1 これまで霊鷲山(りょうじゅせん)という山で法華経が説かれていましたが、この第11章から法華経の説かれる場所が地上から虚空(大空・空中)へと移ります。虚空の中にお釈迦さまをはじめとする仏さまと弟子たちの集会ができることから、これを「虚空会(こくうえ)」と呼び、この虚空会は、この第11章見宝塔品から第22章嘱累品(ぞくるいほん)まで続いていきます。

*2 十方:東・西・南・北・東南・西南・東北・西北・上・下という十の世界。

*3 『開目抄』昭和定本日蓮聖人遺文608頁

*4 『寺泊御書』昭和定本日蓮聖人遺文515頁

*5 『開目抄』昭和定本日蓮聖人遺文582~583頁

*6 六難九易:「六難」は、
① 滅後にこの法華経をよく説くこと
② 自らも書き人にも書かせること
③ しばらくの間であっても読むこと
④ 一人のためにも説くこと
⑤ 聞いて受け入れその意味を問うこと
⑥ よく持ち奉ること
「九易」は、
① 法華経以外の経を説くこと
② 須弥山(しゅみせん)を他方の仏土に擲(な)げること
③ 足の指で大千世界を動かすこと
④ 有頂天(うちょうてん)に立って経を説くこと
⑤ 手に虚空の世界をとること
⑥ 大地を足の甲にのせ梵天へ昇ること
⑦ 大火災の時に乾いた草を背負ってその火の中に入っても焼けないこと
⑧ 8万4千の法蔵を持って演説すること
⑨ 無量の衆生に阿羅漢果(あらかんが)を得させ、神通力(じんづうりき)を具えさせること
が挙げられています。普通の常識から考えれば不可能であることも、法華経を受持することに比べれば容易であると、「六難」と「九易」とを対比され、お釈迦さま滅後に法華経を受け持ち・実践することの難しさを強調されています。

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