ざっくり納得法華経のすべて

第17章

この経を信じる功徳

分別功徳品

【ふんべつくどくほん】

これまで秘されてきた、お釈迦さまの本当のお姿とそのこころ。前章如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)においてはじめて明かされた、久遠のお釈迦さまの教え“自我偈(じがげ)”の功徳は、ただ仏さまでなければよく究め尽くすことのできない広大なもので、この自我偈を聴聞した多くの人々が仏となり、無上の心をおこしていきます*1。

ここからさらに、お釈迦さまは、この法華経を修行する方法とその段階を示され、“自我偈”を中心とした法華経本門の教えを信仰する者の功徳について説かれていきます*2。

「分別功徳」というタイトルに象徴されるように、久遠のお釈迦さまの教えを信じる者の功徳が、その人の信心の浅深や力に応じて説かれていく、これが第17章分別功徳品です。

この分別功徳品では、私たち末法の衆生が法華経を修行する上で極めて重要な教えが明かされていきます。

法華経修行の功徳~四信五品(ししんごほん)~
法華経本門の教え“自我偈”を聞き信じる功徳について、同じ信であっても、浅い者から深い者までおのずから段階があるため、まずお釈迦さまのご在世に信仰する者の功徳を四種類に分けて示されます。

1 一念信解(いちねんしんげ)
ありがたいと感激し、一念〈わずかな心〉でも信じる心を起こす位(くらい)

2 略解言趣(りゃくげごんしゅ)
説かれた教えの意味を略(ほ)ぼ理解する位

3 広為他説(こういたせつ)
法悦のあまり、広く他のために法を説く位

4 深信観成(じんしんかんじょう)
深く信じ、久遠のお釈迦さまと倶(とも)にあり、この娑婆世界を浄土とみる位

また、お釈迦さまの入滅後に信仰する者には、この寿量品の経文について、

1 随喜品(ずいきほん)
教えを聞いてすなおに喜ぶ位

2 読誦品(どくじゅほん)
随喜の心を忘れず、さらに経文を読誦する位

3 説法品(せっぽうほん)
進んで他人にもこれを勧め説く位

4 兼行六度品(けんぎょうろくどほん)
さらに六度(布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧)を兼ねて社会を教化する位

5 正行六度品(しょうぎょうろくどほん)
打ち込んで専門に精進し、法華経を色読(しきどく:経文の通り自らの身で実践し実証)する位

という、五つの段階を明かされます。

それぞれ「現在の四信」「滅後の五品」と称される、法華経を修行するあり方を説かれたもので、信の高まりに応じて、順に進んでいくこととなります。

この分別功徳品の四信五品には日蓮聖人も注目されており、「分別功徳品の四信と五品とは法華を修行するの大要、在世滅後の亀鏡(ききょう)なり」*3と、私たち末法の衆生が法華経を修行していく上においても、常に鑑(かがみ)となり、模範となるものであることを示されています。

一念信解と随喜品の位
現在の四信のはじめの一念信解、滅後の五品のはじめの随喜品。末法の時代において、法華経を修行する私たち初心の行者にとって、特に重要となるこの二つの位。ともにすなおに聞いて喜びの心をもってただ信じる、ここではまだその内容を理解することは求められておりません。ただ信のみあって解はない、「無解有信(むげうしん)」といわれる段階です。

その内容はまったくわからなくとも、ただ一心に南無妙法蓮華経とお題目を唱えること。これが、この一念信解・随喜品の位であり、日蓮聖人はここに私たちの成仏をみておられます。

法華経全28章の中心にある“お自我偈”の教え、また肝心要のお題目、この久遠のお釈迦さまのおこころを、ただすなおに喜びをもって信じるところに私たちの成仏がある、それだけこのお自我偈、そしてお題目にはこのうえなく甚だ深い功徳が含まれているのです。

この教えが尊くすぐれており、はかりしれない功徳があるからこそ、一念信解・随喜品という、ただ法華経・お題目の教えを聞く*4このはじめの段階で、今すぐ仏となる道「無上道」に入ることができるのです。

この随喜品の位は、とても重要であるため、次章の随喜功徳品(ずいきくどくほん)において、さらに詳細にその内容が説かれていきます。

 

注釈

*1 この章の前半は、第15章従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)後半と第16章如来寿量一品とあわせて、法華経本門の正宗分(しょうしゅうぶん:最も重要な教えが説かれる部分)にあたり、特に「一品二半(いっぽんにはん)」と呼ばれています。

*2 この章の後半から、法華経本門の流通分(るづうぶん:正宗分で明らかにされた教えを実践し、弘(ひろ)めていく方法が説かれる部分)となります。

*3 『四信五品鈔』昭和定本日蓮聖人遺文1295頁。「亀鏡」は模範、手本の意。

*4 「聞く」とは、もちろん、これまでも強調されてきた通り、ただすなおにそのまま信じることを意味しております。

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