第14章
●初心の菩薩も…
安楽行品
【あんらくぎょうほん】
お釈迦さまの要請に応え、多くの菩薩たちが不惜身命(ふしゃくしんみょう)の覚悟と決意をもって滅後弘経の誓いを立てたものの、お釈迦さまは、なお静かに黙っておられます。この様子を見てお釈迦さまの心を察した文殊師利菩薩は、「お釈迦さま滅後の悪世において、どのようにして法華経を弘めていったらよいでしょうか」と、初心の菩薩にもできる弘経方法を尋ねます。
そこでお釈迦さまは、身・口・意・誓願という四つの修行方法を示され、さらに法華経こそが最上の教えであることを強調されていきます。
第13章勧持品(かんじほん)で詳説された“三類の強敵(ごうてき)”による大難をよく耐え忍ぶことが難しい初心の菩薩のために、法華経を弘める心得と具体的実践方法が示される、これがこの第14章安楽行品となります。
四安楽行~四つの実践方法~
文殊師利菩薩の問いに対し、お釈迦さまは「後の悪世において、この法華経を説こうとするならば、四法(しほう)に安住しなさい」と、四つの実践方法を示されます。
1、身安楽行(しんあんらくぎょう)
自分の身を置くところ、近づいてはならないところを示されたもので、忍耐強く、柔和で穏やかな心をもち行動すること、また、心を惑わされるような人や場所には近づかず、常に静かな場所で心を磨くよう、心がけるべきことが説かれます。
2、口安楽行(くあんらくぎょう)
言葉によって過ちをおかしてはならないことを説かれたもので、冗談や乱暴な言葉はもとより、相手を軽んじたり、妄(みだ)りに批難したりせず、必要があれば、ただ法華経の教えのみを説くべきことが示されます。
3、意安楽行(いあんらくぎょう)
嫉妬や相手にこびへつらう心、怒りや人をあざむいたり、軽蔑したりする心をいだかず、常に平等の慈悲の心をもって教えを説くことが示されます。
4、誓願安楽行(せいがんあんらくぎょう)
大きな慈悲の心をおこし、自らが仏となった暁には、必ず、たとえどのような所にあっても、神通力(じんづうりき)・智慧力をもって、多くの者を法華経の教えに導き入れる誓願を立てるよう説かれます。
このような心をもち法華経を弘める者には、諸天善神も法を聴くために付き随い、昼も夜も常に諸天の守護を受けることとなります。
これら四つの実践方法が示される中、いずれも“末法”において法華経を弘めることに、お釈迦さまの心が置かれ、日蓮聖人もこの安楽行品を“末法における法華経の弘通”と見られています。
法華経こそが最もすぐれた重要な教えであり、その弘経には困難が伴うことは、末法の衆生救済の大事業が幕を開けた第10章法師品(ほっしほん)において、すでに説かれてきたところですが、ここにおいても、お釈迦さまは譬えを用いて法華経の尊さを強調されます。
髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の喩え*1
世界を統一して正しき教えをもって世を治める転輪聖王(てんりんじょうおう)。
その聖なる権力で諸国を討伐し、功績をあげた者には、その働きに応じて、財宝や土地、家屋、村など多くの褒賞を与えられます。
しかし、王の髻(もとどり:髪の毛を頭の上に集めて束ねたところ)の中に秘蔵する宝珠だけは、誰にも与えることはありません。なぜならば、王の宝珠は王としての証(あかし)であり、これを与えれば、国中に騒乱が起こってしまうから。
それを、ただ大きな功績を立てた真の勇者にのみ、王はこのとっておきの宝珠を与えられます。
末法における弘経と誓願
「王」とはお釈迦さまを、「髻の中の宝珠」は法華経を指しています。
つまり、法華経を説くということは、これとまったく同じであると示されるのです。
「この法華経は、諸仏如来の秘密の蔵(ぞう)なり。諸経の中において、最もその上(かみ)に在(あ)り。長夜(じょうや)に守護して妄りに宣説せざるを、始めて今日において、すなわち汝等(なんだち)がために、しかもこれを敷演(ふえん)す」
これは、四つの方法の中でも、特に重要な誓願安楽行の結びの言葉です。
法華経は、お釈迦さまをはじめあらゆる仏が秘蔵してきた、とっておきの教え。すべての教えの頂点に位置しています。長い間、大事に守り、妄りに説くことのなかったこの教えを、今ここに、時が来て、機が熟して、はじめて説き明かされたのです。
すべての者を仏となす“お釈迦さまの心”は、この最もすぐれた法華経の教えによって、はじめて実現します。誓願安楽行で説かれた“大慈悲の心”は、この“仏の心”そのものであり、初心の菩薩も“仏の心”をおこして、お釈迦さまをはじめとする諸仏の本願を継承していきます。末法の衆生救済の大事業に、初心の菩薩も加わって、自ら誓いを立て法華経を弘めていくのです*2。
この第14章安楽行品で、「開三顕一(かいさんけんいつ)」を大きなテーマとする法華経の前半・迹門(しゃくもん)が終わります。次の章からはいよいよ久遠のお釈迦さまが明かされる本門(ほんもん)へと進んでいきます。
注釈
*1 法華経に説かれる譬えの中で、「法華七喩(ほっけしちゆ)」に数えられるたとえ話の第六番目。
法華七喩
譬喩品第三―――――三車火宅(さんしゃかたく)の喩え
信解品第四―――――長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩え
薬草喩品第五――――三草二木(さんそうにもく)の喩え
化城喩品第七――――化城宝処(けじょうほうしょ)の喩え
五百弟子受記品第八―衣裏繋珠(えりけいじゅ)の喩え
安楽行品第十四―――髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の喩え
如来寿量品第十六――良医治子(ろういじし)の喩え
*2 この安楽行品では、お釈迦さま滅後の時代の中でも「末法の中において」「末世の法が滅しようとするときにおいて」と、末法の時代における弘経に心が置かれています。次の第15章従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)において、これまでの弘経の発誓(ほっせい)が退けられることから、この安楽行品も次に登場する本化地涌(ほんげじゆ)の菩薩の弘経方法について説かれたものと受けとめる解釈もみられます。