第10章
●大事業の幕開け
法師品
【ほっしほん】
先の第9章授学無学人記品までの教えによって、お釈迦さまの弟子たちみなに仏となる道が開かれました。すべての者を仏となすという、お釈迦さまの願いもここで一つ満足することとなりましたが、お釈迦さまの教化活動がここで終わりを迎えることはありません。お釈迦さまはここからさらに、自らが入滅された後の衆生〈「滅後の衆生」〉を救い、仏となすために、教えを説かれていきます。
この「滅後の衆生」を救い仏となす唯一の教えである法華経を、自身が入滅された後も広く弘(ひろ)めていくために、お釈迦さまは、この法華経のすばらしさ、信じ修行する人の功徳の大きさ、そして、この法華経を弘めていく心得を説き示されます。お釈迦さまの大きな慈悲の心から発せられるまなざしが、滅後、特に末法の衆生に向けられていく、その起点となるのが、この第10章法師品です。ここから私たちのために、お釈迦さまが教えを説かれていくのです。
随喜(ずいき)の功徳
「法華経の一偈一句を聞いて、ほんのわずかであってもただ本当にありがたいと喜びの心をもって受けとめれば、みな仏となることができる」、お釈迦さまの薬王菩薩に対するこの言葉からこの章は始まります。
在世と滅後を問わず、法華経を「随喜」という喜びの心をもってすなおに聞くことが仏となる第一の条件であり、出家と在家の区別なく、この法華経を一句でも聞き信じる者が“法師”であります。この法師によって、お釈迦さまの滅後に法華経が弘められていくのです。
法師の修行~「五種法師(ごしゅほっし)」~
では、法華経を弘めていくために、この法師はどのような実践をしていくのでしょうか。お釈迦さまは次の五つの行を示されています。
1、受持(じゅじ)……法華経の教えを聞いて信受し、心に念じて忘れないこと
2、読(どく)…………経文の文字を見てよむこと
3、誦(じゅ)…………文字を見ず、そらによむこと
4、解説(げせつ)……経文の意義を理解して他に説くこと
5、書写(しょしゃ)…経文を書写して広く永く伝え弘めること
この五つのうち、第一の信念受持が根本にあり、信心を継続し養い実践していく具体的あり方としてのちの四つが説かれています。
法華経を信じ持(たも)つという「受持」が最も大切な行であり、滅後に法華経を受持する者は、「如来の使として如来の事を行ずる者」「仏の荘厳(しょうごん)をもって自ら荘厳する者」「仏の肩にになわれ、仏の衣で覆われ、最上の供養を受くる者」となります。
法師は如来と同様の待遇を受ける者であり、この法師の教えを聞いて信受する者、供養を捧げる者の福徳もはかりしれません。その反対に、法華経を受持する者を謗(そし)る罪はそれに比例して極めて重いものとなります。
法華経こそが最も重要な教え
では、なぜ、法華経を受持する者、信ずる者の功徳がこれほど大きいのでしょうか。
それは、法華経が尊いからこそであります。
「我が所説の諸経、しかも此(こ)の経の中に於(お)いて、法華最も第一なり。」
「我が所説の経典、無量千万億にして、已(すで)に説き、今(いま)説き、当(まさ)に説かん、しかも其の中に於いて此(こ)の法華経最もこれ難信難解なり。」
已・今・当の三説*1の中には、一切の仏説が尽されており、その中において、法華経こそが最も重要な教え、最も難信難解の教えとなります。最も難信難解のワケは、お釈迦さまの随自意(ずいじい)*2・本懐だから。お釈迦さまの本当のお心が余すことなく明かされた、この最も勝れた教え・尊い教えを受持するがゆえに、その人も、その人の居る場所も尊くなるのです。
弘経者の心構え~「弘経の三軌(さんき)」~
しかし、法華経は信じ難く理解し難いため、お釈迦さまであってもこの経を説く時には様々な迫害をこうむりました。それを、滅後、特に末法という時代にお釈迦さまに代わって説く場合、それ以上の困難が付きまとうこととなります。
「しかも此(こ)の経は如来の現在すら猶(な)ほ怨嫉(おんしつ)多し、況(いわ)んや滅度の後(のち)をや。」*3
このような大難に立ち向かって、この大きな使命を果たすためには、いかにして法華経を弘めていったらよいのでしょうか。
そこで説かれるのが、「如来の室(しつ)に入(い)り、如来の衣を著(き)、如来の座に坐(ざ)して」法華経を弘めよ、という「弘経の三軌」とも称される弘経者の心構えであります。
これは、すべての衆生に対して大慈悲の心を持ち、どんな迫害や困難にも耐え忍び、あらゆるものにとらわれることなく、すべての者を仏となすという心を起こすことで、まさに如来の心を自らに任じ、如来の事を行じていくものであります*4。
法華経を受持することは、如来の心を受持すること・如来の心を受け継ぐことにほかなりません。したがって、法華経を受持する者は、常に仏と共に在って、諸仏の加護を得ることとなります。
如来の心とは、弘経の三軌に示されている通りで、この心が滅後の弘経者に託されていくのです。お釈迦さまの本願である末法の衆生救済の大事業が、今ここに幕を開けたのでした。
注釈
*1 「已説」とは、法華経以前の諸経、「今説」とは、法華経の開経に位置づけられる無量義経、「当説」とは、これから説かれる涅槃経を指しています。
*2 仏さま自らのこころ〈意〉にしたが〈随〉って説かれた教え。
*3 この法師品の経文に特に注目されたのが、日蓮聖人であります。御遺文の諸処にこの経文を引用され、お釈迦さまの言葉が真実であること、そして自身こそが法華経に説かれている「法華経の行者」であることを、身をもって証明されていきました。
*4
「如来の室」―一切衆生中大慈悲心
「如来の衣」―柔和忍辱(にゅうわにんにく)心
「如来の座」―「諸法空」「一切法空」