●出発点にして到達点
守護国家論
【しゅごこっかろん】
鎌倉時代、日本は正嘉元年〈1257〉の大地震を皮切りに、天変地異、疫病の流行、飢饉などの災害に次々と見舞われました。この惨状を目の当たりにした日蓮聖人は、あらゆる仏教経典を徹底的に再研究しました。その研究成果を正元元年〈1259〉にまとめた著作が、本書『守護国家論』です。更にこれを踏まえ、聖人は『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』を執筆し、文応元年〈1260〉に幕府へ提出しました。
このように『守護国家論』は『立正安国論』と深い関わりを持つ著作です。『立正安国論』があまりに有名であるため、その陰に隠れてしまった面もあり、その「草稿」「準備段階」というような、控えめな評価を受けることもままありました。
しかし近年では、本書の再評価は大いに進んでいます。再評価の理由は、あくまで幕府への提言という枠が設けられている『立正安国論』に比べ、教理について立ち入って論じられている点、しかもその論理や構造がきわめて緻密である点などが挙げられましょう。
そのようなわけで『守護国家論』は今日では「完成度の高い、正統的な教理書」として、『立正安国論』に並ぶ、いや時にそれ以上の高い評価を得ているのです。
『守護国家論』は七部構成です。まず真実の経典とそうでない経典との区別を明かし〈大文(だいもん)第一〉、釈尊没後の時代における仏教の盛衰を述べ〈大文第二〉、当時流行していた法然上人〈1133-1212〉の『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)』を検討し〈大文第三〉、『妙法蓮華経』〈以下『法華経』と略記〉への誹謗は厳しくいさめるべきと説き〈大文第四〉、善き師や仏教の真理とめぐりあうことの難しさを述べ〈大文第五〉、『法華経』の実践者の心がまえを示し〈大文第六〉、最後に想定問答集を付しています〈大文第七〉。
本書はまず、「我々がよるべき真の教えは『法華経』である」と立証するところから論を展開していきます〈大文第一・第二〉。手始めに、仏教のあらゆる経典をその内容にしたがって、説かれた順の時系列に並べ直して見せます。するとこの時系列において、釈尊晩年の説法を記録したとされる『法華経』は、まさにそのクライマックスに「集大成」として配置されることになります。こうして『法華経』の優位性が自ずと、そしてはっきりと示されました。
〈なお、この聖人の論法は、天台宗の「教相判釈(きょうそうはんじゃく)」〈いろいろな教理を体系化してまとめ、その優劣を判定する試み〉が参考にされています。〉
更にあわせて、この『法華経』が釈尊の没後も長きにわたって残り、末法〈仏教が衰微しきった、最悪の時代〉に入っても、ますます効力を発揮するとも論じられています。
最高にして、時局がいくら悪化してもなお有効性を失わない『法華経』……こうして聖人は『法華経』を高く掲げたのですが、それは当時の潮流に逆行するものでした。なぜなら当時の日本では、法然上人の『選択本願念仏集』に基づく浄土教が一世を風靡していたのです。
『選択本願念仏集』での『法華経』の扱いは、「あまりに深い真理を説いているため、常人には理解できない」〈「理深解微(りじんげみ)」〉として、逆に敬遠されてしまっています。そのため、「敷居の高い『法華経』に依るよりも、南無阿弥陀仏のお念仏を唱えるだけで極楽浄土に往生する方が楽でいい」との見方が、浄土教の流行によって広まっていました。
この潮流をくつがえして『法華経』を広めよう……それが本書『守護国家論』〈および、引き続いての『立正安国論』〉の大きな目的でした。
かくして、『選択本願念仏集』への反論が始まります〈大文第三以下〉。『法華経』は決して敷居の高い経典などではない……その根拠として、『法華経』分別功徳品第十七(ふんべつくどくほんだいじゅうしち)・随喜功徳品第十八(ずいきくどくほんだいじゅうはち)が引かれています。この品では、『法華経』を伝言ゲームのように語り伝えたとして、その五十番目に聞いた人にすらも絶大な功徳がある〈五十展転(ごじゅうてんでん)〉、また、『法華経』への信仰心を一瞬おこすだけでも絶大の功徳がある〈一念信解(いちねんしんげ)〉と説かれている。巷で言われているような「理深解微」などでは決してなく、それどころか誰にでも功徳をもたらしてくれるお経なのだ……ということです。
つづいて、浄土教が掲げる南無阿弥陀仏のお念仏に対し、南無妙法蓮華経のお題目を掲げ、その得難く貴重な功徳の甚大さを示し、これを唱えるよう奨めています。
更には、浄土教が極楽浄土への往生を勧めるのに対し、「永遠の仏様は、この世にこそ在しましている。したがって真の浄土=仏の世界とは、我々が生きているこの世に他ならないのだ」とする『法華経』如来寿量品第十六(にょらいじゅりょうほんだいじゅうろく)の文を引き、現世から逃避して極楽浄土に救いを求めるのではなく、現世こそを仏の浄土として顕現させようと訴えます〈その実現のために、つづいて『立正安国論』が執筆され、幕府に提出されたわけです〉。
このように『守護国家論』は、日蓮聖人の思想と活動のいわば出発点であり、また出発点でありながらすでに一つの到達点を示している、記念碑的な著作といえましょう。