喫茶去
中国唐代の禅僧、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)の言葉として有名です。
もともとは「お茶を飲みに行け、お茶を飲んで目を覚まして来い」の意味で、相手の怠惰を叱責する言葉でした。
後には「お茶を召し上がれ」の意味に解釈され、お茶を飲むという日常の中に深い覚りのはたらきを見るという意味にとらえられるようになりました。
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じつは身近な仏教用語
中国唐代の禅僧、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)の言葉として有名です。
もともとは「お茶を飲みに行け、お茶を飲んで目を覚まして来い」の意味で、相手の怠惰を叱責する言葉でした。
後には「お茶を召し上がれ」の意味に解釈され、お茶を飲むという日常の中に深い覚りのはたらきを見るという意味にとらえられるようになりました。